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正法眼蔵 仏教 16

この様な苦諦・集諦・滅諦・道諦という四つの考え方を基礎にして、人生問題を考えていくことによって、生老病死という人生における様々の難問題を解決して、涅槃(きわめて平静な幸福な境地)というものを究めることができる。

この四諦論を考えていく場合に、よくありがちな誤りは、苦諦と集諦とは仏教以外の考え方であつて、滅諦と道諦は仏教の考え方であると言う主張である。これは仏教を論議だけの問題として論じていく場合の見方である。釈尊の教えに従って仏道修行を実際にやっていくならば、苦諦も集諦も滅諦も道諦も、いずれの考え方も、真実と一体になった人々でなければ理解できるものではない。苦諦・集諦・滅諦・道諦いずれの考え方も、それぞれこの宇宙の中に坐を占めて、それなりの存在意義を持っているのである。

※西嶋先生解説
ここで説かれていることは、理想主義哲学も、唯物論も、それなりの意味はこの世の中においてある。ただその一つだけを正しいと信じて、その他の考え方を否定するというところに誤りがあるという事を言っておられるわけでありまして、その点では理想主義哲学も、唯物論もある意味では正しさを持っている。ただそれだけですべて解決すると考えるところに仏教との違いが出てくる。四つの考え方のいずれもがこの宇宙の中における位置というものをしっかりと保持している。

本文に戻ります。
四つ(四諦)の考え方のいずれもが、この世の中における真実の姿である。四つの考え方がすべて真実を得た人の性質である。このような理由から、この上にさらに一切の実在には実体がないとか、作為がないと言う論議をするまでもない。なぜならば、これら四つの考え方は、仏教の理解において非常に大切ではあるけれども、現実との問題との対比で考えるならば、一切が要らないという考え方も同時に成り立つ。


      
           ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
一切が要らないという考え方も同時に成り立つというのは、これは四諦をよくよく理解してしまったならば、もう要らなくなると言う事ですか。

先生
いや、よく理解してしまったら要らなくなると言う事ではなくて、坐禅をしている時に四諦という哲学そのものが要らなくなってしまう。それをもっと具体的な言葉で言えば、坐禅をしている時には理屈はいらないと言う事です。その事を「総不要」とに言っておられる。

質問
そうすると、坐禅をしていない時には要ると言う事ですか。
 
先生
ええ、そう言うことです。だから坐禅をしていない時、仏教を理論的に考えてみようと言う場合には四諦と言うものは要ると。

質問
じゃ、考えようと思わければやっぱりいけないんですか、坐禅していないときにはですね。

先生
ええ、これは仏教哲学を勉強する場合には、どうしても必要だと言う事になるわけです。

質問
勉強すると言う事が必要なんでしょう。

先生
ええ。その点では、仏教では昔から「行解相応」と言う言葉があります。「行解相応」というのは、修行と理解とが両方具わっているという意味。その事は仏教哲学もよくわかっているけれども、坐禅も一所懸命やると言うこと。で、その両方がないと仏道修行というものはなかなか円満な形にならないと言う主張がある訳です。

質問
円満な人格にならないという事ですね。

先生
円満な人格と言ってもいいかもしれません、そうですね。

質問
そうしますと、経典を徹底的に調べ抜かなくてはならない訳ですか。

先生
中国における僧侶の人々が、ややこしい仏教哲学論議は要らんと言う主張をし始めたんですね。道元禅師のお立場からすると、なんでもかんでも全部いらないと言うのは間違いであって、仏教哲学の意味が分かっている必要もあると言う事から、この「仏教」の巻を書かれた訳です。だから、あのお経も読んだ、これも知っている、あれも知っていると言う事ではなしに、仏教の中において哲学的な理論はどういう意味を持っているかと言う事がわかる必要がある。理屈は要らないと言う事ではなしに、なぜ理屈が要るかと言う事の理解が必要だと言っていると見ていいと思います。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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仏向上事の巻に入りました。 仏(真実を得た人)とは、真実を得た後もさらにその事を意識せず日々向上の努力を続けている生きた人間の事である。そしてこのように真実を得た後も日々向上に努力して行く人のことを仏向上人と言い、その様な努力の事態を仏向上ノ事と言う。道元禅師が諸先輩の言葉を引用しながら説かれます。

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