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正法眼蔵 仏教 13

そしてこの僧侶の質問に対して玄沙師備禅師禅師が言う、「三乗十二分教と言う仏教哲学や仏教経典による教えはすべて必要がないと言う事が、達磨大師が遥々とインドから中国に渡られて来られたご趣旨である」と。

この玄沙師備禅師の言葉というものは、まさに仏道の真実を説かれた言葉である。この様な釈尊の教えの真実を述べられた場面において、本当の意味の釈尊の教えが厳然として存在すると言う事を学ぶべきである。玄沙師備禅師の言われた主張は、三乗十二分教と言う言葉で表されるところの仏教に関する抽象的な教えというものは、まさに釈尊ご自身の教えである。

その様な真実の教えは、釈尊や達磨大師がおられた時点、おられた場所において説かれた教えであると同時に、まだ釈尊や達磨大師がおられなかった時代、おられなかった場所においても、生き生きとして活動していたところの真実である。その点では、達磨大師が中国に来られた以前にも行われていた教えであるし、達磨大師が中国に来られて以後も行われた教えという事に他ならない。

そしてさらに、この三乗十二分教を通して釈尊ご自身の教えが説かれ、達磨大師の教えも説かれると言う性質をこの三乗十二分教は持っている。しかも、達磨大師がインドから遥々と中国に渡られた、まさにその瞬間においては、三乗十二分教の教えも現実のものとして、達磨大師の人格として、海を渡って中国に行かれた苦心そのものとして厳然と存在していたのであるから、その意味においては、その上に重ねて三乗十二分教という抽象的な教えを必要としなかったという事にすぎない。いい換えるならば、達磨大師がはるかインドから中国に渡られたという事実そのものが三乗十二分教に他ならない。



           ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
男女の関係ですね、セックスでもいいでしょう。これは人間にとって非常に大きいものであり、あまり道元禅師はこういうことについては、まあ独身ですから触れていらっしゃらないけれども、先生はどうお考えになりますか。

先生
私は大事な問題だとは思わないね。誰でもやることだし、誰でもできることだし(笑)、そう重大問題ではないと思う。

質問
私、なぜこういう事を質問申し上げるかというと、この間NHK だと思いますが、茅誠司(物理学者。第17代東京大学総長) という立派な学識経験者が、自分は研究熱心、コイル百五十回かなんか巻くことが非常に楽しみであり、そういう仕事と男女の道、これはもうやめるわけにはいかんというようなことをおっしゃっていました。これは聞き捨てならざる言葉でありましてね。先生は「誰にもできる」とおっしゃったけれども、これは人間として非常に大きな問題じゃないかと思うんですね。そのために命を捨てる者もあるかもしれませんしねえ。

先生
私はあんまり大きな問題だと思わないな。それはもう「やりたい方はどうぞご自由に」というようなことでね。茅さんがそういうことを言ったんなら、「まあ大変結構なことで。どうぞ」という事でしかないですよ。「ああ、さすが大学者だから違ったもんだ」とは感じないし(笑)、そうかといってそういう意見を持ってたから大学者になれたとも思えないし。

質問
でも、もののわかった方でありますから、非常に大きく、大事に考えていらっしゃったことは事実だと思いますね。

先生
だから、そういう考え方で生きてこられたという事は、一向に差し支えのないことですけどね。仏教を知らなかったという事は言えると思いますよ。

質問
じゃ、まあ避けて通った方が…タブ―だな、これは一つの。

先生
(声を高くして)いや、それはタブ―じゃないです。真正面からぶつかるべき問題です。決して避けるべき問題じゃない。避けて通れるもんでないですよ。その点が人生問題で非常に大切なところ。

質問
だと思ますねえ。

先生
人生問題ってのは、避けて通れる問題ってのは一つもないですよ。決して逃げられないもんです。

質問
しかし先生、仏教書と同じくらい、こういう男女の問題、あるいは恋愛でもいいでしょうが、文学、芸術、そりゃもう比べものにならないぐらい大きい比重を占めてあるわけですよね。これを「正法眼蔵」的に行くならば、どういう事になりましょうかね。

                     つづく--


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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仏向上事の巻に入りました。 仏(真実を得た人)とは、真実を得た後もさらにその事を意識せず日々向上の努力を続けている生きた人間の事である。そしてこのように真実を得た後も日々向上に努力して行く人のことを仏向上人と言い、その様な努力の事態を仏向上ノ事と言う。道元禅師が諸先輩の言葉を引用しながら説かれます。

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