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正法眼蔵 仏教 11

巴陵顕鑒禅師にあるとき僧が質問した。「インドから遥々と中国に来られて、坐禅の修行を伝えられた達磨大師の教えというものと、それ以前に経典の形で中国に伝えられた仏教の思想的な内容とは同じものでありましょうか、別のものでありましょうか」と。この質問に巴陵顕鑒禅師答えて言う「鶏は寒いと寒さをしのぐために木の登り、鴨は寒いと水の中に潜り込んで寒さをしのぐ」と

この問答について道元禅師が注釈されます。
この言葉を勉強して、釈尊の教えの中における仏道の先輩方に直接お会いして、釈尊の教えの中における理論というものを見たり聞いたりすべきである。今ここで達磨大師の考えと経典の示している考え方とを質問しているけれども、そのことは別の言葉を使っていうならば、「達磨大師の教え、達磨大師の考え方というものは、一つなのか、二つなのか」と言う質問でもある。それは達磨大師が仏道を坐禅を通して中国に伝えられたわけであるけれども、それ以外に釈尊の教えと言うものがあり得るのかどうかと言う質問でもある。

僧の質問に対して、巴陵顕鑒禅師は「鶏は寒いと寒さをしのぐために木の登り、鴨は寒いと水の中に潜り込んで寒さをしのぐ」と言われたけれども、その言葉の意味は、達磨大師の考えと、経典に表現されたところの仏教思想とを比較して、同一だ、同一ではないという見方をする人々の見たり聞いたりしたところとまったく同じ意味で言っているわけではない。

以上述べた事をもう一度言葉に換えて説明するならば、達磨大師の考えと、仏教経典にある思想とが同じか違うかと言う問題は、本来、論議すべき問題ではありえないのである。なぜかというならば、仏道、仏教の本源は釈尊ご自身でしかない。その思想が、文字の形になった経典と、その修行法の中心である坐禅をインドから中国に伝えられた達磨大師の思想との間には、決して隔たりのあるはずがない。

長い時間を通過した間に、同じだとか違うとかと言う論議が出て来たけれども、本来は、同じだとか違うとかという問題ではなしに、まったく一つのものでしかないと言うのが実情であるから、本来同一であるものの現れ方がどうであろうかという問題に他ならない。
そこで僧侶の質問に対しての巴陵顕鑒禅師の答えは、本来、同じだとか別だとかと言う質問さえすべきではないと言う意味で「鶏は寒いと寒さをしのぐ為に木の上に上っていくし、鴨は寒いと水の中にもぐり込んで寒さをしのぐ」と言う返事をされたのであろう。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
先生はよく一所懸命やるってことを、無造作といっちゃおかしいけれども、しょっちゅうおっしゃいますが、一所懸命じゃないものがあるんでございましょうか。

先生
う-ん・・・。

質問
そりゃ坐禅をすることを一所懸命やれっていうんなら、わかりますけれども・・・。最近の事件で、例の○○○ですね、あそこの某という参与が飛び込み自殺したと。こういう事件は・・・。これだって一所懸命やったんでございましょうね。(笑)

先生
う-ん、ただね、ああいう事件が起こるについては、下心があるね。一所懸命じゃないですよ。

質問
(笑いながら)そうですか。

先生
うん。結果は惨めな形になったかも知らんけど、ああいう結果が出てくる前の行動というのは、下心があって、二心も、三心もあって、あれこれと仕組んでやったことですよ。その結果がおかしな結果が出てきたにすぎないんですよ。だからそういう点ではあの○○さんだけではなしに、前の社長さんにしても、それから社長室長さんにしても、それなりに思惑があってやったことですよ。だから思惑があって、いろいろと仕組んでやることの危険さっていうものが、ああいう事件の中には非常にはっきり出てくるんですよね。

質問
思惑はいけませんか。

先生
うん。ああいう形で、客観情勢というものを甘く見て、「この位の事ならやれそうだ」という事でやった場合には、必ずまずい結果が出てきますね。

              つづく--


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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