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正法眼蔵 行仏威儀 49

このように雪峰義存禅師の境地というものは、どちらが正しいとかどちらが正しくないとかという境地を超越した立場で説かれているのであるけれども、玄沙師備禅師もその主張の中には、なるほどと思われることもあるしなるほどと思われないこともある。雪峰義存禅師もある場合には問題を取り上げて検討しておられるけれども、ある面では問題を突き放して主張、その結論を自分自身で言うより人に任せるという態度の説き方もしている。

それからまた圜悟克勤禅師はこの玄沙師備禅師と雪峰義存禅師との問答を批評されたのであるけれども、圜悟克勤禅師は玄沙師備禅師と全く同じ意見という事でもないし、雪峰義存禅師と全く同じ意見という事でもない。圜悟克勤禅師は「非常に激しい炎が天にみなぎっている状態」と表現されたけれども、それは真実が宇宙とは何かという事を説いているという主張に他ならない。それに反して、天の全てが激しい炎となって燃え上がっているという主張もされているがその主張は、宇宙が真実を説いているという主張である。

このように激しい炎というものが天地にみなぎっている、あるいは天地とは何かといえば激しい炎であるという主張というものは、われわれ時代が遅れて仏道を学ぶ者たちにとっては、非常に優れた導きの光である。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
私は坐禅ができる事を幸せに思ってはいるんです。私の友達にギックリ腰で坐る事が出来ない人がいるんですね。病気になっている人に道元禅師の話をするのはなんか気の毒であるような気がするんですが、そういう人にどう接したらいいんでしょうか。

先生
たまたまギックリ腰と言う病気が実例に出た訳ですが、坐禅をやっているとギックリ腰には絶対にならない。これは毎日、腰骨の状態を正しい状態においておる訳だからね。ギックリ腰と言うのは、その腰骨の状態が歪んだまま何十年もそういう生活を続けるから、結局無理に無理が重なってどうにもならなくなって出て来るのがギックリ腰ですよ。だからそういう点では坐禅をやっている限り、ギックリ腰にならんと言う事が言える訳ですよね。

ただ、たまたま様々な体の疾患でどうしても坐禅が出来ないと言うふうな状態の人がいないとは言えない。その人たちがどういう形になるのかと言う点については、第三者からは想像できない。私自身も想像できない。だからそういう体の疾患でどうしても坐禅が出来ない人々に対して、こうすべきだなんて事は言えないわけでね。結局、そう言う当事者自身がどういう形で坐禅と同じ様な効果が生まれるかとか、実際にどうしても出来ないのかどうかと言う点は、それぞれの当事者の問題だと言う事にならざるを得ない。

その点では、私自身も自分の経験しない事、自分の経験できない事については論議が出来ないと言う問題がある訳ですね。だからそういう事については、私自身としても「今のところわかりません」と言う答えにならざるを得ないという事があると思います。これは決して薄情でも何でもないんでね。ただ自分で経験しない事については言えないと言う事ですよね。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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