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正法眼蔵 行仏威儀 44

玄沙師備禅師は、三世諸仏(過去・現在・未来の時間の中で真実と一体になった人々)が釈尊の教えを聴いているその事が、三世諸仏の現実のあり方だと言っているけれども、その現実のあり方というものは三世諸仏以外のものがあって、それから教えられるものではない。法(宇宙秩序)は、各人自身が持っているのであって、人から教えられ押し付けられるものではない。炎を考える場合には、現実の仏そのものをつかめばいいのである。

炎と言うものに法(宇宙の秩序、実在)と言うレッテルを貼って捉えるべきものではない。また炎と言うものに真実と言うレッテルを貼ってわかった、わからないという捉え方をすべきものではない。名前があろうとなかろうと、現実そのものが厳然として存在している。その厳然として存在している実体と自分たちとが一つになる事が仏道修行である。

師匠である雪峰義存禅師と弟子である玄沙師備禅師との言葉は、それぞれに優れた点を持っているのであって、いい加減にその言葉というものを取り扱ってはならない。まさに「赤い髭の人は異邦人である」と言えるだけではなく、さらに「異邦人の髭は赤い」とも言えるのである。

※西嶋先生解説   
細かい現象を見て、赤い髭の人は外国人であるという認識を知るというのは各論。ところが逆に人間のものの考え方には総論というものがある。それはどういうことかというと、外国人の髭は赤い、一般論とし人間はこれこれだという考え方。こういう服を着ている人はこういう人だ、という各論と同時に、およそ人間というのはこういうものだという総論がある。

我々のものの考え方には各論と総論があって、その両方を兼ね備えたところに仏教的なものの考え方が出て来る。だから「赤い髭の人は異邦人である」と言う各論の考え方と「異邦人の髭は赤い」と言う総論の考え方の両方がなければ、仏教的な理論が生まれて来ないと言う原則がある。
     
ところが、我々の日常生活における論議では、各論だけを一所懸命にやる人もいる。あの場合はこうだった、この場合はこうだったと言うことで、それは確かに知識があって非常に優れているわけだけれども、個別の問題だけがよくわかる人というのは総まとめというのがあんまり得意ではない。それから、総まとめばかリやっている人は、個別問題が駄目なんです。
   
だから、理論家というのは現実的にあまりうまくいかないし、個別の現実がうまくいく人というのは、状況が変化するとどうやっていいかわからなくなってしまう。だから総論と各論と両方が分かっていないと、なかなかいい仕事が出来ないという面がある。



           ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
この間私の友達が、人生を歩むのは貸しで行けって言うんですね。私、これはいい言葉だと思ってね。でもいろいろ考えてみて、どうもそれだけでは通らないところがある気がして・・・。

先生
そうね、やっぱり貸しがつくれると思っているのは僭越だと思うね。貸して行けなんて言っているけど、そんな事が出来るはずがない。貸したり借りたりなんて、まあソロバンはじいてみればやっぱりブラス、マイナス、ゼロですよ。人間の行いと言うのは。だから、俺は貸しているんだと言う自負があるとすれば、うぬぼれであってね。

質問
うぬぼれなきゃ言えませんね。

先生
だと思う。

質問
私、いい言葉だと思ったんです、初めは。

先生
道徳、倫理、宗教と言うか、そういう普通の考え方は全部そうですよ。人様のために一所懸命という事を言うわけですけれども、仏道ではそういう僭越な事は不可能だという考え方が骨身に徹している。だから「損得を考えずに一所懸命やるしかない」と言う事になると思う。ところが、多少うぬぼれがあると、俺はあいつにこういう事をしてやった、世間にこういういい事をしてやった、そのうち勲章が来てもいいはずだ、と言う風な事になるわけです。

だけれども、それ程人間の能力と言うのは、有り余っていないんですよ。精一杯にそれぞれがやっているだけの事でね。そう偉い人なんていやしない。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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仏向上事の巻に入りました。 仏(真実を得た人)とは、真実を得た後もさらにその事を意識せず日々向上の努力を続けている生きた人間の事である。そしてこのように真実を得た後も日々向上に努力して行く人のことを仏向上人と言い、その様な努力の事態を仏向上ノ事と言う。道元禅師が諸先輩の言葉を引用しながら説かれます。

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