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正法眼蔵 行仏威儀 34

「宇宙の一切は心そのものである」とか「宇宙は心以外の何ものでもない」というような言葉が昔から言われている。そしてさらに一歩進んだ立場から、本当の意味で心とは何かということを表現した言葉がある。それは何かというと、垣根であり、壁であり、瓦であり、小石である。
 
※西嶋先生解説 
これが道元禅師の非常に特徴のある主張であり仏教の主張である。普通、西洋思想では、心というものと外界の事物というものを別のものに分けて「心が中心」「物が中心」とかというわけだけれども、仏教では、心と物とは一つずつ独立には存在しない、心と外界のものとがぶつかり合ったところに我々の生活があるという考え方をする。だから心というのは何かといえば、垣根・壁・瓦・小石であると言われている。

本文に戻ります。
本当の心というものがどういうものかということがハッキリ分かっていないから、垣根が垣根として見えない、壁が壁として見えない、瓦が瓦として見えない、小石が小石として見えない。行動を通して真実と一体になった人の威風が具わった状態においては、自分の心に素直について行き、釈尊の説かれた教え(宇宙の秩序)に従っていくことに一所懸命になり、そして自分の体も大切にするのである。

始覚という考え方や、本覚と言う考え方で、どっちが正しい、どっちが間違いという事を言っている間は仏道の真実というものはわからないし「行仏威儀」の実体というものはわからない。また、外道、二乗、三賢、十聖の境地の人でさえ及ぶことができない。

※西嶋先生解説
始覚(真実というものはいま瞬間的に現れてくるという考え方)。本覚(真実というものは昔から我々に具わっているという考え方)。外道(仏教を信じない人々)。二乗(仏教は信じているけれども、単に頭の上だけで仏教を勉強していく人々や単に感覚的な刺激だけを頼りに仏教を勉強していく人々)。三賢、十聖(日常生活を通して仏道を勉強していく菩薩の境地の人々)



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
外道・二乗、三賢・十聖というのがありますが、外道、二乗はわかるんですが、三賢、十聖というのは菩薩の位のほうですね。

先生
はい。

質問
そうすると道元禅師は、菩薩というのは、坐禅をしておられる人と見ておるんですか、それとも坐禅をしないで修行をしている人と・・・。

先生
ええ、そういう意味が道元禅師の菩薩という言葉にはあると思います。つまり、坐禅をしないで、日常生活の行動を通して一所懸命に仏道修行をしておる人の事を「菩薩」と言っておられたという理解ができると思います。

質問
しかし「補処等覚」という言葉があるんですけども、菩薩の位で、間もなく次の生には如来になると言われているんですけど、そうすると、補処等覚も菩薩であるとすれば、坐禅をしなければそういう可能性はないんじゃないかと思うんですが・・・。

先生
だからその点では、道元禅師は補処等覚というふうな菩薩も、本当の事はわからんという主張がありますね。

質問
そうですね。

先生
だから結局、道元禅師の思想というのは、全部坐禅に持っていかれているわけ。つまり日常生活の中で仏道修行を一所懸命やるという人がいたとして、坐禅をやらないと本当のものは見えてこないのだという主張が道元禅師には明らかにありますね。普通、大乗仏教では、坐禅というようなものを重要視したかどうかは別として、仏にならないで、日常生活を通して仏道修行をしていく人が一番尊いという主張があるわけです。だから菩薩というものが非常に高く評価されているわけだけれども。

道元禅師はどうもそうではないようですね。菩薩も決して価値がないというわけではないけれども、やはり何が一番尊いかと言えば、坐禅をしてすぐ仏になることだと。坐禅というものを通して仏という境涯を実際に味わうことが仏道修行の最高の生き方だと、そういう境地というものは菩薩と言えども中々推察できないと、そういう主張がありますね。

                          つづく--


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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仏向上事の巻に入りました。 仏(真実を得た人)とは、真実を得た後もさらにその事を意識せず日々向上の努力を続けている生きた人間の事である。そしてこのように真実を得た後も日々向上に努力して行く人のことを仏向上人と言い、その様な努力の事態を仏向上ノ事と言う。道元禅師が諸先輩の言葉を引用しながら説かれます。

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