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正法眼蔵 行仏威儀 21

ある人は、諸仏(真実を得られた方々)は、ただ人間の世界にのみ出現すると言い、人間以外の世界には出現しないと考えている。

仮にその様な意見が正しいとするならば、現に仏(真実を得た人)がおられる場所というものは、人間の世界でなければならないのであろうか。このような考え方で、仏の世界、人間の世界というものを、特別な別の世界と考えるようであるならば、人間の世界だけが存在するとか、真実を得た仏の世界だけが存在するというふうな独断的な考え方である。

諸仏(真実を得られた方々)が人間の世界だけに出現するものだと主張するならば、まだ釈尊の説かれた教えの奥義に達していない人と言えるのである。

※西嶋先生解説    
――ここで言っている事は、生物の生まれ方には、胎生(人間の様に母親の体内から生まれるもの)・卵生(鳥とか魚の様に卵で生まれるもの)・湿生(湿気から生まれてるもの)・化生(瞬間的な変化で生まれてくるもの)というふうな様々の生まれ方があって、人間だけの世界ではない。仏、仏道というものも、単に人間だけに限られるものではなくて、人間も世界も含めて、この宇宙の一切に広がっているものだという事を、まず主張されているわけであります。――



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
仏道の究極を究めて本当の「本来人」になりますと、栄枯盛衰というのはないんでしょうか。

先生
うん。その点では客観的に全部見ることができる。どういう原因があって、どういう結果が出てきたという事の因果関係がはっきりわかると同時に、「けしからん、けしからん」と言って感情的になることもないし、「あれでいいんだ、あれでいいんだ」という賛成の意見も採れないし、その点、事実を事実として見るという態度が生まれてくる。それが「仏」の世界です。

質問
そうした場合、「日和見」とは言われないでしょうか。

先生
日和見というのと態度が違うんです。日和見の場合には、一切について判断をしないんです。ところが仏道の世界では判断があるんです。この場合にはこれがよろしいとか、この場合にはこれはいかんとかという判断が、その場その場であるんです。そういう行き方が仏道の行き方だという事になります。

質問
「本来人」というのと「調御丈夫」というのは同じですか。

先生
うん、言葉の表現は違いますけれども、実質的には同じだとみていいです。つまり、本当の事がわかって来ると、自分自身を自由自在に引きずり回すことができるんです。進むべき時には進む。退くべき時には退くという、自分を管理する能力が生まれるんです。その自分を管理する能力の生まれた人を「本来人」という。

質問
それは坐禅さえしていれば、何の努力をしなくても・・・。

先生
その通りです。そういう事が実情としてあります。ただ今日、坐禅に対する信仰はそれほど深くありませんから、大抵の人が「ちょっとやってみようか」と思って、ちょっとやってみて「いや、あんまり変わりばえがしないから、まあほどほどに・・・」という風なことですけれども、坐禅に打ち込んで毎日やっておりますと、この世の中が一番よく見えてくるんです。


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幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

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