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正法眼蔵 仏性 53

抗州塩官県の塩官斎安禅師は、馬祖道一禅師の系統における長老である。

塩官斎安禅師がある時、たくさんの僧侶に説示していう。
一切衆生有仏性
(すべての生きとし生けるものには、仏としての性質がある)

塩官斎安禅師の言葉について道元禅師が注釈されます。
ここで塩官斎安禅師が言っておられる一切衆生有仏性と言う言葉について、停滞なく速やかに勉強してみる必要がある。一切衆生と言ってみても、そのあり方、実践、環境、主体性等々はそれぞれ異なっており、その見方は千差万別である。凡夫、外道、三乗、五乗等それぞれの立場に従って一切衆生と言う言葉の理解の仕方は様々である。

※西嶋先生解説
――凡夫とは、仏道のなんであるかという事がまだわかっていない人々。外道とは、仏道以外の教えを信じる人々。三乗とは、声聞、縁覚、菩薩の事。声聞(理論的に仏道を勉強していく人々) 縁覚(客観的な外界の刺激を頼りにして仏道を勉強していく人々) 菩薩(社会的な実生活を通して仏道を勉強していく人々)五乗とは、三乗の他に人乗(普通の人間の生活) 天乗(天上界の人々の生活の仕方)――


釈尊の教えに従ってこの「一切衆生」と言う言葉を考えてみるならば、およそ心理作用を持っているものは、すべて生きとし生けるものと言う言葉で呼ばれる。なぜかと言うと、その心理作用が生きている事の実体に他ならないからである。それと同時に、心理作用を持っていないものも、やはり「一切衆生」の中に入るであろう。なぜかと言えば、この世の中の生きとし生けるものは何らかの意味で心理作用を持っていないものはないからである。

この様に考えてくると、心というものと生きとし生けるものはまったく一つのものであろうし、一切の生きとし生けるものは、すべて仏性を持っていると言う事がいえる。


       
              ―西嶋先生の話―

具体的に仏教を勉強していく上において、日頃どんな事をやったらいいかと言う問題に触れて見たいと思います。仏教を勉強していく上においてはいろんな事がある。その一つとして三毒がある。三毒とは何かと言うと、貪(どん)・瞋(じん)・痴(ち)である。仏教では、この三つのものを避けなければならないと言う釈尊の教えが伝わっている。なぜ釈尊が、この三つの事を注意しろと言われたかと言うと、この三つはいずれも感情的になった状態、感情が高ぶった状態だからであります。

貪(どん)とは、むさぼる事、欲張る事。普通、腹がすけば食事をする、眠くなれば寝る、この事は人間の営みとして大切な事です。ただ、こういう欲望にさらにアクセントが加わると感情が乱れる。だからここで言っている貪(どん)とは、過度の欲望の事です。欲望を満たすと言う事は、決して悪い事ではない。ただ、欲望が過度になって、その欲望に引きずり回されると言う事、これを避けなければならないと、これが釈尊の教えであります。

瞋(じん)とは、腹を立てる事、怒ると言う事。これも人間がよく陥りがちな事です。街や駅で、たまたま喧嘩をしているような人を見かける。傍から見ると、やや滑稽に見える。ご当人は、大真面目になって「お前が悪い」とお互いに言っているけれども、傍から見ると、ずいぶん無邪気だと感じる。当事者のご当人は「おれがこんなに正しい事を言っているのに、なぜ聞かないのだ」と大真面目になって怒っていると言うのも見かける。

何故その事がよくないかと言うと、感情に走っている、自分の気持ちのバランスが壊れていると言う事であります。坐禅によって得られるものは、自律神経のバランス。バランスした状態で日常生活をやっていれば何の心配もない。ところが、たまたまバランスを乱したところで一所懸命にやった事が、決していい結果をもたらさない。そういう点では腹を立てると言う事も避けなければならない。これが釈尊の教えであります。

こういう教えは、日常生活であんがい大事だ。我々は人間である以上、腹の立たない人はない。ただ腹が立った場合に「腹を立ててはいけない」と言う教えを頭に持っていると、自分の感情を抑える努力が行われる。腹を立ててもいいんだと感じていれば、怒りほうだい怒って、つかみ合いの喧嘩をしたり、口喧嘩をしたりと言う事にならざるを得ないけれども、そう言う事をやるべきでないと言う教えが頭の中に入っていると、感情的に走って腹が立ちそうな時でも、それを抑えようとする努力が行われる。こういうものが、積もり重なって仏道修行というものが進んでいくと言う面があるわけです。

                              つづく--
                             

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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

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