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正法眼蔵 仏性 45

龍樹尊者の説話に関連した道元禅師の注釈は続きます。

仏教においては、四大(地・水・火・風)と言う四種類の要素によってこの世は出来上がっていると説明したり、あるいは、五蘊(色・受・想・行・識)と言う五種類の要素によってこの世の中はできあがってると言う風な様々な哲学的な説明があるけれども、そういう哲学的な説明を口にしたり、理解したりするところの仏(真実を得た人)としてのものの考え方、仏教界の先輩としてのもの考え方というものも、それら全てが、ただ生身の体を現実に現している瞬間瞬間の状態でしかない。

それらの人々の姿、形、体というものが、同時に仏の体と全く同じ性質のものであると主張されているのであって、この我々が住んでいる宇宙の一切のものも、また同じ様に仏の体と全く同じ性質のものだと言えるのである。その点では、この我々の住んでいる宇宙の中における一切の性質がまさに仏性に他ならないのである。

仏の特徴は何かと言えば、この生身の体を現実の世界の中に現す事を究め尽くす事である。宇宙の中における数える事も出来ない、究め尽くす事も出来ない膨大な性質が様々に活動する状態も、別の言葉をかりて言うならば、わが身の生身の姿を現実の世界に現す瞬間瞬間の事態でしかありえない。

※西嶋先生の解説
――この事は、宇宙だとか、現実だとか、法だとか言ってみても、結局は自分自身が瞬間瞬間に一所懸命に生きていると言うだけのものだ。仏性と言ってみても、自分自身が一所懸命に生きていると言う事だけのものだ。仏性と言ってみても、自分自身が一所懸命、手が二本、足が二本のちっぽけな体を使って生きておるだけのものだ。――

 

               ―西嶋先生の話―

我々は毎日のように仏道とか仏法とかというものを勉強しておるわけでありますが、その道とか法とかというものについても、世間一般では何か抽象的な教えとか戒めとか、そういうものとして理解しておる向きが多いわけであります。しか道とか法とかというものは、そういう抽象的なものではなくて、我々の実生活の中に実体として明瞭にあるものという事が言えると思います。

例えば我々は毎日何らかの仕事をしておるわけでありますが、そういう仕事についても、法というものは存在するわけです。例えば仕事のやり方。企業の中の仕事についていえば、そのやり方についても一定の組織が必要である。組織がないと仕事が混乱してうまく流れないという問題がありますし、仕事のやり方の手順についても、正しい手順に従えば、仕事が非常に順調に流れるけれども、たまたま手順の組み方が悪いと、仕事が混乱して、必要でない苦労を何回となくやらなければならんというふうな問題があります。

そのことは、我々の仕事の中にも法というものがあって、法に従えば事態がうまく流れるし、逆に逆らえば事態が混乱する、そういう問題が明瞭にあるわけで、その点では、法というものも単に抽象的な教えというふうなことでなしに、実体として我々の生活の中にはっきりと内在しているという事が言えると思います。

それからまた、そういう仕事の組織とか手順とかというふうなものも、時代によって非常に変わる。だから、明治時代における仕事のやり方と、大正時代における仕事のやり方と、昭和の今日における仕事のやり方とは非常に違っておる、その時代時代に応じた一番適当な仕事のやり方というものが、法として存在してきたという事も言えるわけであります。
                          つづく--            
             

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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事していた愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅とは姿勢を正してきちんと坐ることである。 姿勢反射が働いて、交感神経と副交感神経とが同じになり、 考え過ぎからくる不満がなくなり、感じ過ぎからくる不安が消える。 実行力が生まれ、やりたいと思う事が直ぐできるようになり、 やりたくないと思う事はやめることが出来るようになる。 自分自身と宇宙とが一体となり最も幸福な人生を送ることが出来る。

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