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正法眼蔵 仏性 40

龍樹尊者の説話について道元禅師の注釈は続きます。

そして、この龍樹尊者の説法を聞いていた全ての聴衆が、現に龍樹尊者の円月相(丸い月と同じ様な欠けるける事のない円満な姿)を遠くから拝見したけれども、その龍樹尊者の姿をまだ一度も見た事のない様な姿として目に映じたということは、龍樹尊者が説法されたその内容に行ける変化というものが、たくさんの聴衆にとっては龍樹尊者の姿を見ることが出来なかった原因である。龍樹尊者は実際に自分の姿を現しておられたのであるけれども、その説法における龍樹尊者の姿が、単に耳に聞こえるもの、単に目に見えるものだけではなかったという事である。

隠れているとか、現れているとか、その龍樹尊者の姿が様々な変化を示したという事は、説法されているときの姿が、見る人の目によって、あるいは聞く人の耳によって様々に変化したことに他ならない。また龍樹尊者が円月相から本来の姿に立ち返られたという、まさにその瞬間においては、そこに龍樹尊者の説法を聞いていたすべての人々は、ただ龍樹尊者の説法の声だけ聴いたという事であり、その説法を聞いているときには、龍樹尊者の姿というものを見なかった、見ることをしなかったという事に他ならないのである。

龍樹尊者の正統の後継者である迦那提婆尊者は、満月の姿を具体的に知り、円月相を現実に知り、身体を現すと言う事を具体的によく知り、諸々の真実を得られた方々の本質というものを具体的によく知り、真実を得られた沢山の方々の身体というものを具体的によく承知せられたのである。



              ―西嶋先生の話―
                             --つづき

なぜそういう風に片一方だけ重点を置く考え方が誤りかといいますと、我々の住んでいる世界は現実の世界であって、現実の世界というものは、頭で考えたほど二つの要素のどっちだけで成り立っておるというものではない。現実というもの、あるいは企業活動というものは、全体と部分との相互関係で成り立っておるという事があるわけであります。

だからその点では、基本的な方針も大切だけれども、その基本方針が組織に従って順調に第一線の末端にまで流れて、第一線の人々が順調に仕事に取り組むことが出来るかどうかという風なことが、非常に大切な問題でありますし、そういう第一線の人々の順調な働きというものの合計されたものが、会社経営の成績だという風なことも言えるわけであります。だから全体と部分というものは両方大切であって、その二つを別々のものに分けて、どっちが大切かという風な考え方は出来ないというのが、仏教思想の考えだという事が言えると思います。

ところが我々が住んでいる社会では、きわめて手近な例としても、明治維新以降、今日までの状態を考えてみますと、明治維新以降から昭和20年までは、全体というものが非常に大切なものだ、全体のためには個人は犠牲になっていいんだという考え方が非常に強かったわけであります。

ところが昭和20年に戦争が終わって世の中の考え方の向きが変わってきますと、それ以降は個人が大切で、個人の尊厳というものをどうしても守るという風なことだけが問題になって、全体が大事だという風な考え方は間違っておるという事が非常に強く言われるようになったのであります。この明治維新以降から昭和21年までの時代が一つの極端な傾向があったと同時に、昭和21年以降の今日のものの考え方というのも、正しいかどうかというと、かなり疑問があるという事が言えるわけであります。

そういう観点から、どの辺が現実に一番合った教えかという事が、仏教というものの考え方の基本になるわけでありまして、そういう点から、現実を基礎にして、もう一度世の中のあり方を見直すというのが仏教とか仏道とかを勉強しておる者の目標だと、そういう事にもなろうかと思うわけであります。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

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