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正法眼蔵 仏性 18

五祖大満弘忍禅師と四祖大医道信禅師との問答について道元禅師の注釈は続きます。

大医道信禅師が言っている事の意味は「お前の姓は一体何か」と言っておられるけれども、その「何」と言う言葉の意味は、言葉では表現する事のできない何かだということを言っているのであり、それは具体的な現実そのもの、本質的なものを言っているのである。その具体的な本質的なものを言い表そうとして、言葉では表現することのできない何かと言ったのである。これがここで問題にされているところの「お前の姓は何か」と言う事に関しての中身である。

言葉では表現できない何かというものは、具体的な本質的なものを問題にすればこそ、そういう表現が問題になってくるのであって、具体的な本質的なものというものを表現する能力が、言葉では表現できない何かと言う言葉の中に含まれている。ここで大満弘忍禅師と大医道信禅師とが出会って問答されたときに取り上げたところの姓というものは、具体的な本質的なものであり、言葉では表現する事のできない何かである。

このように我々に具わっている本質的なもの、言葉で表現できない何かというものは、安いよもぎのお茶を飲む場合にも、何のたれべえという名前が問題なのではなくて、自分自身が本質的にどういうものかと言うことが問題になる。また高価なお茶を飲む時にもやはりその本質とは何かという事が問題になるのである。したがって日常生活でお茶を飲んだりご飯を食べたりするときも、何のたれべえという名前が問題なのではなくて、人間としての本質が何かという事が問題になるのである。



            ―西嶋先生の話―

我々がなぜ仏教を勉強しなければならないかと言うならば、正しい宗教だから学ぶという事です。 だから仏教に対して疑いを持っても構わない、疑いを持って疑って疑いぬいて、どうもおかしいと思ったら仏教を捨てればいいんですよ。ただ勉強してみると勉強すればする程どうも本当だとしか思えないから、仏教というものの意味があるんです。その点では普通の宗教のように「ただ信じろ」というのは仏教の主張ではないんです。

「疑って見ろ」という事を言うわけです。だから「大疑」と言う言葉があるわけです。そういう点では真実というものは、どんなに疑問を持ってどんなに検討してみても壊れる事のないものが真実ですよ。仏教にはそういう意味がある。仏教というのはどういう事を言っているかを、縦からも横からも吟味してみようと思って一所懸命努力してみても、どうにも疑いようのないものが仏教です。補足しますと道元禅師という方は仏教というものが何かという事を明確に知っておられたから、おかしな迷信は信じる事ができなかったという事です。

だから、仏教のこの問題はどう理解するか、この問題はどう理解するかという事で、理論に合わないような教えというものを残されなかった。これが「正法眼蔵」の一つの意味です。今日われわれが「正法眼蔵」を読む場合に、そういう点でこの本が意味を持ってくるわけです。そういう事情があります。また鎌倉時代は、あらゆるものを疑わざるを得ない時代だったわけです。それは平安時代の末期には、親が子を殺す、子が親を殺す、兄が弟を殺す、弟が兄を殺すという風な、もう倫理も道徳も全くなくなった時代があって、それが時代が変わって新しい道徳が必要になったわけです。

その時に仏教ももう一度復活して、いわゆる鎌倉仏教が生まれたわけです。だから鎌倉時代の哲学的な根底がなぜ深いかというならば、その前に平安時代の人間社会としては考えられないような乱れに乱れた時代があるわけですよ。その中から新しく築き上げられた宗教だからごまかしが入っていないというのが鎌倉時代の仏教の特徴ですよ。特に道元禅師が「正法眼蔵」を書かれたことの意味は、そういうごまかしを必要としない宗教が仏教だという事を述べられている。


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

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