トップページ | 全エントリー一覧 | RSS購読

正法眼蔵 仏性 15

馬鳴尊者の言葉について道元禅師の注釈は続きます。

そしてまた仏道修行によって得られる境地も、六種類の神秘的な働き(六通)も、この仏性から発現するといわれているけれども、ここで知ることができる。様々の仏道修行によって得られる境地の発現の原因は、皆同じように仏性によって現れて来るのである。一切の神秘的な働きもこの仏性から現れるのであり、また仏性を超越したところで現れるのであって、それらがいずれも本質的に仏性に依存して成り立っているのである。

六種類の神秘的な働きは、阿含経の様な小乗経典において説かれている六種類の神秘的な働きを言っているのではない。六というのは、前にもちらほら二、三人、後ろにもちらほら二、三人というように具体的な個別的な現れ方を、ここでは六種類の神秘的な働きと言っているのである。

したがって六種類の神秘的な働きと言われているものも、現実の日常生活おいて具体的なものは疑問の余地のないはっきりしたものとして受けとるし、その具体的な事物に隠された釈尊あるいは釈尊の教えを継承した代々の祖師方の意向、意思もそういう事物の中にはっきり読み取れるけれども、単にそういう抽象的な説明だけで言い尽くす事ができない。もっと具体的なものを意味しているのである。六種類の神秘的な働きというものが具体的にあって、それが仏性によって成り立っているところの世界において、その世界における一つの現れ、物として具体的に現実的に存在しているのである。

※西嶋先生の解説
仏性によって成り立っちいる世界と言ってみても、ただ「空」に尊い性質があるわけではない。山や川、その他人間の様々の能力、働き、状態と言うものを称して、仏性と言うのである。だから、それは整然とした形のものではなくて、様々の個々の具体的な現れをするものである。そういう意味で馬鳴尊者の説かれた言葉を引きながら、仏性というものをまた別の立場から説いておられるわけであります。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
先生は、いつか人間は他の動物より優れたものであるというような発言をしましたが、人間万物霊長説を肯定しておられるわけですか。

先生
いや、私はそうはいえないと思うね。人間というのはわりあい悪智恵が発達してるから、動物以下の悪い事はいくらでもするんですよ。動物のやることは、大体能力に限界があるから、悪い事にも限界があるわけです。人間は動物のやれないような悪い事をいっぱいするわけです。だからそういう点では、人間は万物の霊長だなんてえばっているわけにはいかない。

また、そういう悪い事のできるという能力は、良い事のできる能力でもあるわけです。だからそういう点では、自分をレ-ルに乗せてしっかり生きていけば、非常にいい仕事もできるという事でもある。同時に悪い事をしようと思えばどんな悪いこともできるという事でもあると思うんですよね。だから、人間に能力があるという事が言えると同時に、常に偉いかと言うと、そういうわけにはどうもいかないという面もあると思います。


いつも訪問ありがとうございます。よろしければクリックお願いします。


関連記事
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント
578:管理人のみ閲覧できます by on 2016/09/09 at 11:23:44

このコメントは管理人のみ閲覧できます

579:Re: 感謝しています by 幽村芳春 on 2016/09/09 at 15:23:41

鍵コメさん、コメントありがとうございます。

「正法眼蔵」は西嶋先生の講義をそのまま紹介しています。ブログで「全巻」の紹介が一応終わりましたが、また一巻から勉強したいと思い二回目を始めました。先生の訳だからこそ「正法眼蔵」も読めるのだと思います。これからもまだまだ続きますので、一緒に先生の講義を聞いて勉強していきましょう。これからもよろしくお願いします。

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

最近の記事

最近のコメント

リンク

カテゴリ

フリーエリア

行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

FC2カウンタ-