トップページ | 全エントリー一覧 | RSS購読

正法眼蔵 仏性 14

摩訶迦葉尊者から数えて十二代目の教団指導者である馬鳴尊者が、十三代目の教団指導者である迦毘摩羅尊者に仏性によって成り立っている世界を説くに当たって言う。

山・川・大地は、みな仏性によって建立されているのであり、三昧(仏道修行の結果によって得られる境地、坐禅によって得られる境地)も六通(人間が持つ六種類の神秘的な働き)も仏性が基礎になって発現するものである。

馬鳴尊者の言葉について道元禅師が注釈されます。
この馬鳴尊者の言葉から推察するに、我々の住む周囲を取り巻いている山・川・大地も、みな仏性によって成り立っている世界そのものに他ならない。仏性によって建立されたところの瞬間において現れるもの、それが山・川・大地に他ならない。ここで山・川・大地がみな仏性によって成り立っていると言われているのであるから、仏性によって出来上がった世界とは一体どんなものかと言えば、それは山・川・大地に他ならない。そして仏性によって成り立った世界と、山・川・大地という二つのものがあって一つになったという関係ではない。

この様に考えてくると、我々が山・川を見るという事が仏性を見るという事に他ならない。そして仏性を見るという事は、山・川の自然を見るという事だけではなしに、町中を歩いているロバや馬の顎先を見る事も仏性を見ることに他ならない。山・川が仏性をそのまま現した姿であると同時に、街中を荷車を引いて歩いているロバや馬の顎なり口先もまさに仏性そのものを現す姿である。この世のすべてが仏性に従い仏性によって出来上がっていると言う考え方を理解し、またその理解を超越するのである。



 
              ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
この前の禅宗というのは老子の影響を受けたという点ですけども、先生のお話ですと道元禅師は道教を仏教よりは低く見られたというんですけど、ということは、禅宗に影響を与えたというのは、主に臨済のほうに、という解釈になるわけですか。

先生
ただね、臨済禅師の時代に臨済宗なんて言うのはなかったんですよね。だから臨済宗といってみても、時代がずうっと下がってからの区分けだから、その点では古い時代には一つの仏教しかない時代もあったという事、これは言えると思うよね。ただいろんな解釈がついていくと、その時代の思想あるいはその土地に古くからあった思想というものと結びついて、純粋の仏教からちょっと違った形の思想が生まれたという事は想像がつく、そういうふうな問題だと思うんですよね。


いつも訪問ありがとうございます。よろしければクリックお願いします。


関連記事
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

最近の記事

最近のコメント

リンク

カテゴリ

フリーエリア

行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

FC2カウンタ-