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正法眼蔵 仏性 6

仏性と言う言葉を聞いて、仏道を勉強している多くの人は、先尼外道(セニカと呼ばれるバラモン僧)の主張する考え方が仏教の考え方だと思っている。

釈尊が生きていた時代に、先尼外道が唯心論(この世の一切は魂の所産である)と言う考え方を主張した。しかし先尼外道の考え方は仏教的な考え方ではない。なぜ、仏道を勉強している多くの人は、先尼外道の主張する考え方を仏教の考え方だと思っているのか。

その理由は、それらの人々が、本当の人間に出会ったことがなく、また自分自身に出会ったことがなく、本当の師匠に出会ったことがないからである。それらの人々は、単なる物質が動くに過ぎないところの心の働きというものを、仏性そのものによる外界に対する掌握だと考えている。

しかし一体仏教界のどの先輩が仏性には、ものを認識、理解、把握したりする力が具わっていると言ったであろうか。仏性とは、ものを認識、理解、把握したりすることとは別のものである。まして、沢山の仏教界における真実を得られた方々が、ものを認識、理解、把握したりすると言う場合は、先尼外道の、あれこれと考えて創り上げた誤った理解の仕方を言うのではない。

また物質的なものが動いたり静止したりする事が、ものを認識、理解、把握したりするという事の意味だと言うわけではない。ただ具体的な個々の真実を得られた方々、あるいは仏教界の先輩の方々の示された姿そのものこそ真の認識、理解、把握と呼ばれるところのものである。


             
          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
企業の中での立場というんですか、それはどう言う事になるんですか。

先生
周囲がこうしたいと思っている事もありますよね。それから、自分はこうしなければならないと言う事もありますよね。そうすると両方の中間に現実があるんでね、どっちかだけでけりがつく問題じゃないと思う。二つの要素があって、それの絡み合いの所に現実がある。だから周囲も生かさなくてはならないし、自分も生かさなければならないし、そういう点では傍からは、どうこうと論議できない様なものが誰の生活にもあるわけですね。

質問
その決断が坐禅をしていれば、かなり・・・・。

先生
ええ、だから坐禅を毎日かかさずにやっていて、そういうものに常に触れていると、そういう問題がおきなくなるわけですよ。どうしたらいいかと言う事がきわめて一番現実的な対処の仕方をするわけですよ。頭の中で考えてどう判断するという様な事でなしにね。それが仏道を基礎にした生き方だと、そういう事になると思います。

※私の独り言。
台風一過。東の空に虹を見ました。虹を見るなんて本当に久しぶり。なんかうれしくて・・・。
    

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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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仏向上事の巻に入りました。 仏(真実を得た人)とは、真実を得た後もさらにその事を意識せず日々向上の努力を続けている生きた人間の事である。そしてこのように真実を得た後も日々向上に努力して行く人のことを仏向上人と言い、その様な努力の事態を仏向上ノ事と言う。道元禅師が諸先輩の言葉を引用しながら説かれます。

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