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正法眼蔵 看経 19

冶父道川禅師の話に入る前に西嶋先生が解説されます。

前回の薬山唯儼禅師は経典を読むことは、常日頃はやらなくてもいい事であって、自分の目が冴え過ぎている、あるいは自分の頭が冴え過ぎている時に、それを曇らせるために経典を読むのだと言われた。ところが冶父道川禅師の言葉は、薬山禅師の立場と全く逆に、経典を読むことそのものを真正面から最高のものとして肯定しておられる。仏道というのは、このように相矛盾する考え方が次々に出てくる。

そのことはどういうことかというと、現実そのものが矛盾を含んでおる。だから現実の説明には、どうしても矛盾した立場で何回も説き直さないと、我々の生きている娑婆世界の実情というものがわかってこない。だから「正法眼蔵」が難しい、難しいと、いわれる一つの理由はこういうふうに前に述べたこととすぐ反対の事を次に出してくるというところにあるわけです。我々の住んでいる世界そのものが矛盾に満ち満ちているという事がわかって来ると、こういう次から次へ矛盾した形で出て来る教えが、実は我々の生きている世界そのものを説いておられると言う事がわかって来るという事も言えると思うわけであります。

冶父道川禅師が言われた。
千、億というたくさんの仏に、供物を捧げる事から生まれてくる幸福は無限である。しかし、その様な無限の幸福をもたらす供養と言えども、釈尊の説かれた教典を読む事には及ばない。白い紙の上に墨で字を書いてあるものが経典に他ならない。諸氏もこの経典を読むことがいかに尊いかということを、現実に、しっかりと見ていただきたい。

冶父道川禅師の言葉について道元禅師が注釈されます。
この冶父道川禅師の言葉からわかる事は、過去の真実を得られた方々に対して供養する事と古仏の諸先輩が説かれた経典を読む事で得られる福徳は全く同じである。しかし、経典を読む事の方がむしろ福徳があると、冶父道川禅師の言葉からわかる。ここで冶父道川禅師の言っている古人の教えとは、白い紙の上に墨の字で書かれた経典に他ならない。この諸先輩の教えをハッキリ認識する人が一体何人いるであろうか。まさにこのような理論を学ぶ必要がある。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
私はいま「法華経」を漢文じゃ中々わからないので、英訳されたものと対照しながら読んでますが、同じ文句の繰り返しですね。

先生
ええ。人間の考えることというのは、大体知れてるんですよ。だからどんな高遠な哲学を説いてみても、言っていることは同じ事だともいえるわけでね。過去において何万人、何億人の哲学者がいたかも知らんけど、その人たちの言っていることは、大同小異、相も変わらず似たような事を言っているという捉え方もできる。そうすると、「大蔵経」が何千巻あって、あのお経にはこう書いてある、ああ書いてあると言ってみても、たった一つの事について無限の説明をしているというふうに見ても間違いではない。

質問
それで「もう大蔵経ぜんぶ読み終わり!」とまるく円を描いた意味が分かるような気がします。(笑)

先生
そうなんです、そうなんです。だからそういうふうな考え方からすると、グルッと円を描いて「もう大蔵経ぜんぶ読み終わり!」と、こういうふうな表現になってくるわけ。


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幽村芳春

Author:幽村芳春
夫婦で店を始めて43年。生活=仕事。毎日朝晩自宅で坐禅をし、愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで紹介しています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」を授かりました。     

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