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正法眼蔵 看経 9

般若多羅尊者(東インドの摩訶迦葉尊者から数えて第二十七番目の仏教教団の指導者)が、東インドの国王に招待されて正式の食事を受けている際に、国王から質問された。

国王言う:僧侶の方々は、いずれも経典を読むことをなさいます。ところがあなたは決して経典をお読みになることがありませんが、それはどういうわけでございましょう。般若多羅尊者答えて言う:自分の吐く息は独立独歩であって、周囲の環境に煩わされていない。吸う息も独立独歩であって、周囲の世界に拘束されていない。吐く息も吸う息も独立独歩で、自分自身が一人前の生活をしている。自分はそのように、独立独歩の仏道修行者としての生活をしているから、自分の吐く息、吸う息がまさに経典を読んでいる事に他ならない。したがって自分の経典の説き方は、百巻・千巻・万巻・億巻と言う無数の経典を説いている。ただ一つの経典を講じた、二つの経典を講じたと言うふうな範囲の狭いものではない。

般若多羅尊者と国王の問答について道元禅師が注釈されます。
この達磨大師の師匠である般若多羅尊者は、インドの東の地方の人であった。摩訶伽葉尊者から数えて第二十七番目にあたる正しい後継者であり、仏教徒として持っていなければならない諸道具はすべて正しく伝承しており、頭、眼の玉、こぶし、鼻の穴、骨髄等の仏として体、それから杖、食器(応量器)、お袈裟等の道具をすべて保持し維持しておられた方である。

般若多羅尊者は我々仏教徒の大先輩であり、我々は般若多羅尊者のはるか時代を経た後輩に他ならない。さてここで般若多羅尊者が自分自身の全力を込めて言っている言葉は、生き方として周囲の環境から独立独歩に一人前の人間として生きているのである。しかし、単に周囲の環境に引きずり回されていないと言うだけではない。般若多羅尊者の環境も独立独歩で輝かしい姿を示している。

ここで般若多羅尊者は周囲の環境に引きずり回されていないと言っているけれども、その周囲の環境は何かと言えば、般若多羅尊者の頭であり、目の玉であり、体全体と言う場合もあるし、周囲の環境が般若多羅尊者自身の心全体とも言えるし、周囲を取り巻く一切のものも周囲の環境と呼んで差し支えないところであるが、般若多羅尊者の状態は、独立独歩で日常生活を堂々と生きておられると言う事である。したがって、周囲に引きずり回されない、周囲に拘束されないと言う事は、徹底して周囲に従っていく事である。

※西嶋先生解説
この辺が非常に面白いところであり、我々の日常生活の現実がこうなっている。だから、よくむこうっ気が強く人の言うことを聞かない人が、自由自在の生活を送っているかと言うと、世間からつまはじきされて「どうも面白くない」というようなことで、文句ばかり言っている。「俺は俺の人生だから、勝手気ままにやるんだ」と言いながら、世間から外れてしまっている場合がいくらでもある。

だから「独立独歩」の生活をするという事は、周囲に完全に調和していくことである、これが我々の日常生活の実際なのである。だから「独立独歩」というようなことを言って、人の意見には何にも耳を傾けない、あれも反対これも反対と言う人が、本当の意味で自由な生活を送っているかと言うと決してそうではない。むしろ、人の言う事をよく聞いて、静かに、静かに、何にでも環境に応じて従っていく人が、独立独歩の生活をしている人に他ならない。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
お尋ねします。頭、目の玉、拳、鼻の穴が、なぜ諸道具と言う解釈をしておられるのでしょうか。

先生
これは、自分自身が持っているものですよね。仏教徒として、頭もあり、眼もあり、拳もあり、鼻の穴もあると。それは仏教徒本人であると同時に、物という見方、体と言う見方からすれば道具と言う意味があるわけです。そういう点では、道具と見て一向に差し支えない。


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

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