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正法眼蔵 古鏡 45

雪峰義存禅師と玄沙師備禅師との問答について道元禅師の注釈は続きます。

先の問答で玄沙師備禅師が雪峰義存禅師に対して「老和尚のおっしゃるところを聞いていると、足のかかとがまだ地についていないようなところがあります、まだどうもその答えでは納得できません」という言葉を述べたけれども、ここで、「老和尚」といっているが必ずしも雪峰義存禅師を指すわけではない。なぜならば、雪峰義存禅師は老和尚の一人に他ならないからである。また足の「かかと」言っておられるけれども、この足の「かかと」とは一体何を指しているのかと質問してみるべきである。足の「かかと」とは一体何を言っているのかと参究してみる必要がある。

ここで参究してみなければならないと言っているのは、どういう意味かというと、「かかと」という言葉を正法眼蔵(釈尊の説かれた教えの根本)の立場において論じているのか、虚空(空間)において論じられているのか、尽地(大地)において説かれているのか。命脈(生命)を問題にしているのか。一体その「かかと」の数は、たった一つなのか、半分なのか、百なのか、千なのか、万なのか、この様に様々な立場から考えてみるべきである。



             ―西嶋先生の話―
                              --つづき

この会でも、ちょっと足の組み方が違っても私は難しい顔をして叱り飛ばしたり叩いたりという事をしませんから、西嶋の教え方は少し気が抜けてる中途半端で甘いと、こういう感じでまあ私も感じておりますし皆さんも感じておられるんじゃないかと思いますが、毎日坐禅をやるという教えは非常に厳しい教えだなという事を最近感ずるわけです。ですから皆さんもご自分でおやりになってみて2,3日は続いてみても、フッとした拍子にやらない日がある。やらなくてもやった日とあんまり大して変わりがない。

すると「これじゃ、まあ毎日やる必要もなかろう」と、こういう実情がかなり多いのではないか。その点では、現在毎日やることが出来ていないという事は決して悲観する必要はない。ただそれと同時に、「死ぬまでには何とか毎日やれるようになりましょう」という希望を絶対に捨ててはいけない。この希望を捨てると、仏道から離れてしまって仏道にもう一度戻るという事があり得ない。だから現在できない、できるという事はどうでもいい。出来ないながらも、「とにかく毎日やらなければならんのだ」という固い気持ちを生涯忘れてはならない。それが仏道修行だと、そういう風に感ずるわけです。

ですからその点では、私のいう事は大変妥協がないと言いますか、「どうも堅っ苦しくてやりきれない。もうちょっとおおらかで、たまには一杯飲んでても仏道には支障がないんだ位のことは言ってもらいたいというお気持も多いと思いますが、仏道というものはかなり厳しいものである。だから道元禅師が「正法眼蔵弁道話」の中で「法のうるほひなきことをうらみよ」と言っておられるわけです。「法のうるほひなきことをうらみよ」というのは、釈尊の説かれた教えはそう甘くない。

だから甘くない教えという事で、「恨みに思うならば恨みに思っても仕方がない」という主張をしておられるわけです。ですから私もなるべくやさしいことを言って、なるべく皆さんに喜んでいただきたいという気持ちは強いのでありますが、それと同時に仏道修行に関連しては、毎日坐禅をやるという事が出来てこないと仏道修行というものとは何かがわからない。そういう点で、わからない形でいろんな説明が付きますと、ますますわからなくなってくる。

仏道以外のものを仏道として説くようになる。それをまた人様に話す。聞いた方もまた、仏道ではないものを仏道だと思い込んで一所懸命むなしい努力をする。こういう事情がかなりあるのではないかと感ずるわけであります。ですから私も、決して自分が皆様に聞かれて耳触りのいいお話をしているとは思っていない。非常に聞きにくい話を申し上げているという事は十分承知しておりますが、やはり申し上げるべきことは申し上げなければならない、そういう風なことがあろうかと思うわけです。


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コメント
564:日々拝読しております。 by 小栗和也 on 2016/07/27 at 20:33:01

曹洞宗の檀家です。道元禅師の正法眼蔵、孤雲懐奘の正法眼蔵随聞記、折々に読んでいます。ここの解説も面白くありがたいです。これからもヨロシクお願いします。また、私のブログへのコメントありがとうございました。返信が遅れました、お詫び申し上げます。

565:Re: 日々拝読しております。 by 幽村芳春 on 2016/07/27 at 21:39:46

オグリン♪さんコメントありがとうございます。
「正法眼蔵」はまだまだ続きますので、これからもよろしくお願いします。


プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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仏向上事の巻に入りました。 仏(真実を得た人)とは、真実を得た後もさらにその事を意識せず日々向上の努力を続けている生きた人間の事である。そしてこのように真実を得た後も日々向上に努力して行く人のことを仏向上人と言い、その様な努力の事態を仏向上ノ事と言う。道元禅師が諸先輩の言葉を引用しながら説かれます。

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