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正法眼蔵 古鏡 44

雪峰義存禅師と玄沙師備禅師との問答について道元禅師の注釈は続きます。

「炉の大きさは古鏡の広さと同じである」と言われた雪峰義存禅師の言葉を静かに考えてみる必要がある。炉の大きさというものは、一丈、一尺、一寸とかという表現では十分に炉の大きさを表現できないので、「古鏡の広さと同じである」と言われたのである。より具体的にという考え方からするならば、一丈、一尺、一寸と言う表現が言葉としては当たっているという事であって、古鏡の広さと同じだという表現で、大きくもなれば小さくもなるような表現をされたことが、言葉としては不十分だと言うことではない。

我々の日常の行動を考えてみるならば、その場面場面によって、大きくもなれば小さくもなるのが日常生活に他ならない。現実というもの、行動というもの、生活というものは一定の大きさに決まったものではない。ある時は一丈であり、ある時は一寸であるというふうな具体的に大きさが瞬間瞬間に変わるという実情があるわけである。

ところが、多くの人は、この雪峰義存禅師と玄沙師備禅師との問答に関連して、炉の大きさは一丈だというふうに具体的に断定しない事を、言葉としては不十分だと考えている。しかしながら、広さと言う抽象的な言葉が独立独歩して活躍するという事も考えてみる必要がある。我々個人が、それぞれの独自の立場を持ち、独自の判断を持っているという事も考えてみる必要がある。また我々の日常の行動が具体的な現実のものであって、人によっては大きい場合もあり、他の人にとっては小さい場合もあるというふうな様々に変化するものであるという、日常の行動、現実を見過ごす事があってはならない。

その事を別の言葉で言うならば、香厳智閑禅師が言われた「自分の日常の動作というものが昔の僧侶の方々と同じようであって、現実の瞬間瞬間に満足して自由自在に行動ができてしょぼんとすることがない」という状態であろう。



               ―西嶋先生の話―

もう何回もお話したことではありますが、坐禅を毎日やるという問題についてお話したいと思います。

なぜ坐禅を毎日やるかという事を何回も何回も繰り返しお話するかと言いますと、私が仏教というものを人様にお話していることに関連して、一番の説く特徴は「坐禅は毎日やらなければいかん」という主張をしていることになるわけです。最近では仏教が盛んになってきたようで、坐禅をやる会もかなり増えてきたようですが、私の様に毎日やることを強調するという方は少ないという事が実情ではないかという感じがするわけです。

私がなぜ毎日坐禅をやるという事をお勧めするかと言いますと、毎日坐禅をやらないと仏道というものがわからないと、こういう事が私の経験からは言えると思うわけです。私は17、18才の頃から坐禅を始めたわけですが、37才になる間毎日やるという習慣はなかったわけです。つまり17、18才から37才までの間、坐禅を毎日やらなければならんという事をあんまり強く感じていなかったわけです。ですから、あちこちの坐禅会に行って色々とやることはやったわけですが、家へ帰ってくるとやらなかったわけです。

まあ、家でやったにしても、毎日はやらなかったわけです。ところが、たまたま37才の時から毎日やるようになってみて、ほんの3か月か、あるいは半年ぐらい経ちますと生活の様子が変わってきたという事実があるわけです。それまでは、やったりやらなかったりですと、どういう感じを持ったかと言いますと、やってもやらなくても殆ど自分の様子には違いがないという感じを持ったわけです。後から考えてみますと、坐禅をやった時の状態とやらない時の状態とには、ほんのわずかの紙一重の違いではありますが、はっきり違いがあるわけです。

ただその違いというものはわずかなものでありますから、やってもやらなくてもあまり違いが自分自身ではわからない。やらなくてもやってもそうたいしたことはないんであれば、「ま、今日はやめておこう」という事にならざるを得なかったわけです。そして、「やってもやらなくても同じような坐禅であれば、自分の坐禅はやり方が悪いのではないか。そうするとやっぱりお寺にでも行って一所懸命、根を詰めてやらないと効果がないのではないか」という考え方を持っていたわけです。

たまたま毎日やるようになって3か月なり半年なり経ちますと、自分自身の生活が変わっているという事に気が付いたわけです。その生活の変化そのものの中に仏の状態と仏でない状態との違いがあるという事、これが仏道の基本だという風にしか考えられないわけです。ですからその点では、私が皆さんに毎日坐禅をよるようにという事を申し上げるのは、ある意味では非常に厳しい教えだという事が言えると思います。

                             つづく--


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561:私も。 by せっせせっせ on 2016/07/26 at 22:13:32

一年後が楽しみで毎日の朝夜の坐禅の時間を30分にしたのが昨年の8月12日です。以来30分出来ない時や、やりながらそのままの姿勢で仰向けになっていて気付いて時計を見ると1時間以上たっていて一体どうしてこうなったのかわからない時もありながらも、基本的には朝起きてすぐと、夜寝る前の30分の坐禅を続けてまいりました。
現実として、
今、群馬の地元で実家から出勤する日々を送っていますが、このことはここ2、3年来思い続けて特にこの1年は強く願っていたことです。
この強く願っていたことが、まるで居合いの術のように、直接相手に言ったり接触したりするわけでもないのに、あれよあれよと周りの方々のセッティングで実現してしまいました。
自分の力以外の何かがあるのを実感しています。

563:Re: Re: 私も。 by 幽村芳春 on 2016/07/27 at 15:50:27

せっせせっせさん、コメントありがとうございます。

坐禅をしていない時は、あれもやらなきゃこれもやらなきゃと頭で考えるばかりで中々体が動きません。幸いにも坐禅を毎日続ける習慣がつくと、頭であまり考えなくても、目の前にあることがせっせせっせとできるようになりますよね。

しばらくして気が付くと自分でも思いもよらないような状態になっていることがあります。でもこれは自分が望んだからそうなったのではなく坐禅を一所懸命やる生活はどんな状態でも満足するようになるではないかと思います。

せっせせっせさんも自分が望んだから今のような状態になったのではなく、今の状態とは紙一重・二重・三重と違った環境でも満足する生活が送れるようになったのではないでしょうか。

566:ありがとうございます。 by せっせせっせ on 2016/07/27 at 21:50:39

まさにその通りだと思います。
今の状態とは紙一重・二重・三重と違った環境になっていたとしても、その環境の中で精一杯に自分のやるべきことに集中して、満足する生活が送れるようなおだやかで力強い精神と肉体の力がついてきているのだと思います。

567:Re: ありがとうございます。 by 幽村芳春 on 2016/07/28 at 11:39:01

こんにちわ。
せっせせっせさんが言われる「おだやかで力強い精神と肉体の力がついてきているのだと思います」は、まさに坐禅の効用ですよね。お互い坐禅が習慣となりましたね、坐禅を頼りに暮らしていく。そのことが「満足する生活が送れるようなおだやかで力強い精神と肉体の力がついてきているのだと思います」ですよね。

これからもよろしくお願いします。

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅とは姿勢を正してきちんと坐ることである。 姿勢反射が働いて、交感神経と副交感神経とが同じになり、 考え過ぎからくる不満がなくなり、感じ過ぎからくる不安が消える。 実行力が生まれ、やりたいと思う事が直ぐできるようになり、 やりたくないと思う事はやめることが出来るようになる。 自分自身と宇宙とが一体となり最も幸福な人生を送ることが出来る。

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