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正法眼蔵 古鏡 32

この「古鏡」の巻においては、古鏡というものを例にとって、人間が持っている貴重な性質というものを説いているわけですが、今度はそれを猿の例に引き当てて説明されます。

雪峰義存禅師と三聖院慧然禅師とが、連れ立って道を歩いていた時に猿の一群が通り過ぎて行った。その時、雪峰義存禅師が「どの猿も、背中に人間と同じように古鏡(永遠の価値を持った鏡)をそなえている」と言われた。

雪峰義存禅師の言葉について道元禅師が注釈されます。
この言葉をよくよく学ぶ必要がある。雪峰義存禅師が「猿が背中に古鏡をつけている」と言われたけれども、「雪峰義存禅師が見られた猿とはどんな様子のものであったか」と、この様に質問しさらに勉強すべきであり、長い時間が「猿とは一体どんな意味か」という事を考えていくために費やされても、決してそのことを心配すべきではない。

雪峰義存禅師が「猿がそれぞれ古鏡を背負っている」と言われたけれども、その言葉の意味は、古鏡は元来、釈尊や諸々の真実を得た方々が持っておられた姿を指すものだという事が言えるとしても、同時に、さらにそれ以上の意味というものが古鏡という言葉の中には含まれている。猿がたくさん通り過ぎたのであるが、猿の群れの中には、大きい猿も小さい猿もいたであろうけれども、その猿の一匹一匹が古境を背中に乗せていたという事は、猿がそれぞれ個々に大きい猿も小さい猿もそれぞれが、古鏡という同じ値打ちの尊いものを持っていたであろう。

背中に乗せていたという事の意味は、たとえば仏画の背中に光背というものをつけているというのと同じである。したがって、猿の背中にも古鏡が具わっていると言われたのであろう。

※西嶋先生解説
――ここで雪峰義存禅師が、たとえ猿であろうとも、猿というのは普通は動物、人間以下のものとして何の意味もない、頭も劣っているというふうな捉え方をするのが普通であるけれども、仏道の立場から見ると、この世の一切のものが真実であり、非常に尊いものを具えていると言う考え方をするので、猿が連れ立って山の中を群れをなして動いていく姿そのものも、真実そのものに他ならない。そういうところから、猿の背中にも古鏡が見られるという事を言われた。――



               ―西嶋先生の話―

我々は、子供の頃から学校で色々と教えられて来ている。「良心(善心)というものは大切なもの、それがなくては人間ではない」と。ところが仏教では、良心(善心)というものが目立って自分の心の中に感じられるうちは、まだまだ本当の自分が出てきていないと言うわけである。その事が、どういう点で実際の生活に役立つかと言うと実際生活でいろんな判断をするときに、一番正しい現実的な判断とは、自分の心の中にある良心と悪心とが一つに重なった時に出てくる。
   
良心と悪心とが別々にあるうちは、本来はこの様にしなければならないが、と言う事を自分の心の中で考える。ところが、あまり良心的にばかり考えると現実に合わなくなる場合もある。具体的にいえば、損をしてしまうという問題に出くわす。そうすると、良心に従いたいんだけれども実際に従うと損をしてしまう。そういう問題がどうしてもある。そうすると、判断する場合、どっちにしようかなあと言ってウロウロ、ウロウロ迷う。たいていの場合は、良心だけに従っていてはとても飯が食っていけない。

そうかといって、良心にそむくのも気がとがめると言う事で、何となくどっちつかずの中途半端な判断をするというのが、大体普通の生き方である。ところが、心の中における善玉と悪玉とが一つに重なって消えてしまうと、判断する場合にすぐ現実的な判断が出来る。それはどう言う事かというと、物事を空にする。頭の中で良心を基準にして考える事もなくなったし、そうかと言って、ただ損得だけを基準にした考え方もしなくなったし、この様な状態が生まれてきた時に初めて、我々は心の中に善玉と悪玉がなくなった状態を感じる。
                      つづく--


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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