トップページ | 全エントリー一覧 | RSS購読

正法眼蔵 古鏡 30

雪峰義存禅師と玄沙師備禅師の問答に関連して道元禅師の注釈は続きます

雪峰義存禅師の「その輝いている鏡の前に、もう一枚の鏡が出て来たならば、一体どういうことになるか」という質問に、玄沙師備禅師は「一切の事物が個々バラバラに砕けてしまいます」と返事をした。この言葉の意味は、外界の世界が個々にそれぞれ具体的に現れると言う事である。そのことは、机が机として見える、畳が畳として見える、柱が柱として見えると言われたに過ぎない。この我々の住んでいる世界は、個々の物がそれぞれ独立して一つ一つがハッキリ見えると言う事である。

いわゆる、自分の中における、Aの自分とBの自分と言う二つの分裂がなくなって、たった一つの人格になるならば、個々の物がありのままに見えてくる。我々の住んでいる外界の世界の個々の物が、ありのままに見えてくると言う事が、明鏡(くもりのない鏡)の意味であろう。明鏡を問題にした場合、その境地は別の言葉で言えば、外界の物がそれぞれ具体的に個々に見えると言う事であろう。個々の物が具体的にハッキリと見える事が、くもりのない鏡、くもりのない心、くもりのない体と言う意味であろう。

常識的には、まだ個々の物がハッキリ見えていないときがあったし、個々の物がハッキリ見えていたのに、また見えなくなってしまったという捉え方をするけれども、それは狭い見方からする考え方で、素直に生きていれば、外界の世界は個々の物がありのままに、何のくもりもなく、何の歪みもなく見えてくるに違いない。それ以外の見方というのはありえない。その事が「一切の事物が個々バラバラに砕けてしまいます」という言葉の意味である。



          ―西嶋先生にある人が質問した―  

質問
布施という事も、自未得度先度他(自分が道を得るより先に、他の人を渡らせましょう)という教えということになりますか。

先生
うん、だからこれは人間の普通の心の持ち方です。生理現象でもあるわけですよ。ガツガツしていると言うのは、やっぱり体の状態ですよね。だから、そういう点では「はい、どうぞ」と言うゆとりのある心の状態、体の状態が必要だと言う事です。だから「自未得度先度他」という事にもつながります。

布施なんていうのは、特別に偉い事でも何でもない。人様に物をあげるという事は偉い事でも何でもない。普通の人間のあり方。ガツガツしないで「ハイ、どうぞ」と人に物をあげられるという事は、気持ちが和やかで一番幸せを感じる時なんです。ところがそういう余裕がないと「もっと欲しい、もっと欲しい」という事で、ガツガツする。そういう人間の生活からは、さっぱり幸福感と言うものは出てこない。

質問
貧しい中からどうにかと・・・。

先生
だから自分よりももっと悲惨な人を見た場合に、「ハイ、どうぞ」と言う気持ちを起こすと言う事はかなり大事だと思います。

質問
よくお寺さんの方から、こっちへお布施をして頂くという事を「法施」だって言いますね。教えを受けると・・・。
  
先生
そう。だから布施には法施と財施と両方あると言われています。法施というのは、ケチケチしないで人に教えてあげると言う事。財施というのは、経済的なお金とか物だとかをあげる事。お寺さんにはよくあるんですよ、これは知っているけど、人には教えない。
      
質問
教えてほしいなら、お金を出せといいますが・・・。 

先生
そうそう、そういう点では割合みんな締まり屋でもあるわけです。人間だれでも締まり屋と、それからダラシない金使いの荒いのと両方ありますよね。人には物を上げるんだけれども、要らない物にドンドンお金を使ってしまって、家庭がピ-ピ-いっているのに構わないという生き方もある。そうかと思うと、出すのは舌もいやだと言う事で頑張っている人もいるしね。だから釈尊が「中道」と言われたのは、そういう問題についても、適当に人にあげるしそうかといってダラシなく何でもかんでもはたいてしまう事もなくと言う生き方が一番いいんだと言う事。

「中道」と言うと、常識的で平凡だと言う印象があるが、やはり人間の生き方としては中道が最高だと言う事です。中道と言う生き方を、人はあまり歓迎しないんだな。あの人は金使いがいい、金っ離れがいいと言うような事を誉めるし。そうかと思うと、あの人は一億ためたそうだ、偉いなあなんていうけれども、その中間に一番いい生き方があると言うのが仏道の教えだと思います。


いつも訪問ありがとうございます。よろしければクリックお願いします。



           
関連記事
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

最近の記事

リンク

カテゴリ

最近のコメント

フリーエリア

恁麼(いんも)の巻に入りました。 恁麼とは、宋の時代の俗語で「あの」とか「あれ」という意味を表わす指示代名詞であり、用例によっては「なに」というような」疑問の意味を表わす場合もある。言葉で具体的に表現することの困難な何物かを指すところから、仏教が追い求めるところの心理を言い難き何物かという意味で、この恁麼という言葉で表現した。

FC2カウンタ-