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正法眼蔵 古鏡 4

伽耶舎多尊者の例を引いて「古鏡」について具体的な説明は続きます。

子供時代の尊者が睡眠をとる時には、円い鏡がその上を覆って花笠の様になり、また正坐をする時には、その円い鏡は尊者の目の前にある様にみえた。総じて尊者の動きに従って、円い鏡もついて回ったと言う事が出来る。円い鏡が単に尊者の体に具わっていたと言う事だけではなくて、尊者は過去・現在・未来の仏教行事で何かを知りたいと思う事があると、この円い鏡を見る事によって知りたいことがわかった。

様々な事柄、あるいは様々な実体についても全てがこの円い鏡に映り、それがボンヤリしてわからないという事はなかった。その様子はたとえば経典や書籍に向かって過去の事柄や現在の事柄を勉強するよりも、この円い鏡に映して物事を見る方がはるかにハッキリとわかった。

※西嶋先生解説
――経典や書籍を読んで文字の上でいろいろと物事を知るよりも、自分自身の心に照らして直感的にわかるということが、仏教的な考え方の中ではかなり大切だということも表しているとみることが出来ると思います。自分の気持ちに照らして、直感的にどれが正しいか、どれが間違っているかを感じ取ることが人間の生き方のかなり基本にある。自分がどうしたらいいかという問題は、本を読んで見つけてみてもなかなか的確な教えというものは出てこない。むしろ体が整い、気持ちが整っていると、頭で考えなくても何をしなきゃならないかということはすぐわかる。現実がどうなっているかというようなことは直感的にすぐわかる。

だから我々の人生においては直感というものはかなり大切なことである。ところが体の状態、心の状態が普通でないと直感が狂う。自分では正しいと思ってパッパッと行動したんだけど間違いだらけだという場合もあり得る。と言って直感がすべて正しいというわけではないけれども、それと同時に人間が判断する場合、それは知識とか人から聞いた事とかという事よりも、自分がどう感じたか、どう直感するかということが基礎になっておるということも大切なことであろうかと思う。そのことをここでは言っている。――



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
道元禅師は「円い」というのを大変お好きのようですが、他の巻でもこの円を使って説明している例を何かご存知ですか。

先生
ええ。円というのが割合完全な姿というものを意味している場合が多いですね。だから一つの中心があって、それから等距離にあるずうっとつなげていくと円が出来るわけでね。そういう意味で「完全」という意味を円で表しているという例が多いです。

質問
他にも何か・・・。

先生
他にもある。だから禅僧がよく問答を仕掛けられたときに、返事の代わりに「これだ!」と○をかく。いかにもわかった様なわからん様な事だけれども、「これだよ!」というのもそれは一つの表れですな。

※私の独り言。
昨夜は妹と「辻井伸行&オルフェウス室内管弦楽団」を聴きにサントリ-ホ-ルまで出かけました。今回はベ-ト-ヴェン素晴らしかったです。


読んでいただきありがとうございます。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事していた愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅とは姿勢を正してきちんと坐ることである。 姿勢反射が働いて、交感神経と副交感神経とが同じになり、 考え過ぎからくる不満がなくなり、感じ過ぎからくる不安が消える。 実行力が生まれ、やりたいと思う事が直ぐできるようになり、 やりたくないと思う事はやめることが出来るようになる。 自分自身と宇宙とが一体となり最も幸福な人生を送ることが出来る。

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