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正法眼蔵 心不可得(後) 20

大証国師と大耳三蔵の問答について道元禅師の主張は続きます。

また仰山慧寂禅師は「大証国師は前の二回は外界の世界に意識を移していたが、その後は自分自身と一体となる境涯に入ったので、三耳三蔵は大証国師を見ることが出来なかった」と言っている。この仰山慧寂禅師については、小釈尊と呼ばれるほど仏道の理解においては優れているという評判がインドにまで高く響いていると言われているけれども、このような妥当でない発言をしないわけではない。

人と人とが顔を合わせる場面では、その心境は必ず外界の世界に集中しているものだと言うならば、仏道の真実を得た人と仏道の真実を得た人とがお互いに出会って問答をし法を伝えるという機会があり得ないことになってしまう。またこのように言う人は、師匠と弟子とが出合って、一対一で「お前は将来、仏(真実を得た人)となるであろう」と言う保証を与えることの事実、実体というものがわかっていないようなところがある。仰山慧寂禅師といえども、前の二回は大耳三蔵が大証国師の心境を十分に知っていたと言っているけれども、こういう言葉から推察すると大証国師のほんの僅かな髪の毛一本ほどの実体もわかっておられなかったと言うことが出来る。

再び玄沙師備禅師がこの問題を取り上げて言うには、「前の二回はわかっていたのか、見ていたのか」という質問をした。この言葉は、まさに言うべきところを的確についていたようではあるけれども、玄沙師備禅師の言葉の前後から推察すると、見てはいたけれども、本当の意味で見ていたのかどうかと言っているのであるから、見ていたという一応の推定をしている点がどうも妥当ではない。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
仏教を非常にわかりにくくしているのは、経典が膨大に多いということが一つの障害になっているようでございますね。

先生
はい、そうです。だから私は仏教を勉強する場合には、坐禅をやることと「正法眼蔵」を読むことと、その両方をやっておればわかる、膨大な経典なんか読んだってわかるはずがないという見方ですね。「大正大蔵経」でも、ご存知のように厚さが十センチぐらいありますよね。で、漢字ばかりの字がびっしり詰まっている。あれ一冊読むだけで十年や二十年かかりますよ。それが八十五冊もあるんだから、(笑い)自分の一生の間に全部読んでわかるなんてわけにはとてもいかない。

質問
道元禅師が坐禅について、「只管打坐」「身心脱落」「修証一等」と言われましたが、どういうことですか。

先生
「只管打坐」というのは坐っていることが坐禅だという主張です。ただこの考え方は現在人にはなかなか理解しにくい。ただ坐っているだけではどうも価値がなさそうだ、何か別にあるんじゃないかと、その「何か」を得たいというふうな事が普通の理解の仕方です。しかし道元禅師の言われた坐禅は、そういう難しいものではない。ただ坐っておればそれがもうすべてだと。こういう主張をお説きになるために「身心脱落」とも言われたし、「修証一等」とも言われたし、「只管打坐」とも言われた。

質問
その「修証一等」というのはどういうことですか。

先生
これはですね、「修」というのは実際に坐禅をやることです。それから「証」というのは体験という意味で、俗にいう悟りと、こういうことです。だから普通の坐禅の考え方からしますと、修行をすることによってそのうち悟りが得られるという考え方があるわけです。ところが道元禅師はその考え方は間違いだといわれた。

坐禅をしておることと、悟りを得ておることとは一つの事だと、まったく一つの事だというのが「一等」という言葉の意味です。だから坐禅をする以外に悟りというものはないんだと、坐禅さえしておれば悟りの状態の中に自分は坐っておるというふうに確信して差し支えないと、そういう主張がこの「修証一等」という言葉の意味です。


読んでいただきありがとうございます。


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幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

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