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正法眼蔵 心不可得(後) 14

道元禅師の注釈は続きます。

我々の偉大なる師匠である釈尊の説かれた宇宙秩序というものは、声聞・縁覚などの小乗仏教徒たちのような野狐よりややましな人々の説くところとは決して同じではない。しかしながらこの大証国師と大耳三蔵との問答、あるいは問答に関する説話については昔から代々の大先輩がこの問答を検討して、それに関する主張というものが残っている。

ある僧が趙州従諗禅師に質問した。「大耳三蔵はなぜ三度目には、大証国師のいる所を見る事が出来なかったのでしょうか」と。これに対して趙州従諗禅師が答える。「大証国師が大耳三蔵の鼻のところにぶら下がっていたから、大耳三蔵は大証国師がどこにいるかを、三番目の質問の時には見なかった」と。

またある僧が玄沙師備禅師に質問した。「ある僧の質問に趙州従諗禅師は、大耳三蔵の鼻のところにいたから大耳三蔵は見なかった、と言っておられるけれども、鼻のところにいたならばこれほど見やすいことはない。どうして見なかったのでしょうか」と。これに対して玄沙師備禅師が答える。「あまりにも近すぎたから見えなかったんだ」と。

また海会守端禅師が言う。「大証国師が大耳三蔵の鼻のところにいたならば、どうして見ることが出来ないということがあったであろう。先輩方は大証国師が大耳三蔵の眼の玉の中に入り込んでしまっていることを知らない」と。

玄沙師備禅師がもう一度、この大耳三蔵に関する説話を引き合いに出して言う。「さてお前たちに質問するが、前の二度は果たして大耳三蔵は大証国師を見たのかどうか答えてみよ」と。それに対して雪竇重顕禅師が「さすがだ、負けた、負けた」と。

またある僧が仰山慧寂禅師に質問した。「三回目の質問の時は、どうして大耳三蔵はしばらく時間がたっても、大証国師のいるところがわからなかったのでしょうか」と。これに対して仰山慧寂禅師が答える。「前の二回は外界に気を移していたけれども、三回目は大証国師が自分自身の本願に戻ったから、そこで大耳三蔵は見ることが出来なかった」と。

この五人の僧侶に対して道元禅師が検討を加えます。
趙州禅師・玄沙師備禅師・海会守端禅師・雪竇重顕禅師・仰山慧寂禅師の五人の大先輩の解明は、いずれも大体のところは当たっているけれども、大証国師が一体どういう境地にあったかということは見過ごしてしまっている。この五人の方々は、いずれも三番目には大耳三蔵は大証国師のありかがわからなかったけれども、前の二回はわかっていたらしいというふうに考えているようだ。この五人の方々が、いずれもそういう形で、前の二度は大証国師の所在を大耳三蔵がわかっていたと理解している。過去の大先輩の方ではあるけれども、しかしこれはまさに過去の先輩方が見誤ったところであり、われわれ後世の仏道を勉強している後輩がまさに知らなければならない点である。



              ―西嶋先生にある人が質問した―
質問
禅だと、坐禅をしなければたちどころに禅の生命は滅びてしまうけれども、坐禅はあくまでも方法、手段であって、禅そのものではないということをよく聞くんですが・・・。

先生
坐禅というのは、方法・手段ではなくて、本源に帰った状態そのもの。だからよく坐禅を長年やって、そのうちに悟りを開くんだという考え方があるけれども、道元禅師はそういう考えをとらなかった。何のためかわからんけれども、とにかく足を組み、手を組み、背骨を伸ばしてジ-ッとしていること自体に意味がある。それが悟りであり、それが仏道のすべてだということを言われた。だから悟りを開くまでは値打ちがなく、悟りを開いたら値打ちがあるということじゃなくて、悟りなんかどうでもいい、毎日坐禅をすることに絶対の価値があるんだという考え方ですよね。

質問
そうすると自己の本源に帰するというのは、よく臨済系で言うんですが、いわゆる「父母未生以前」とか、「本来の面目」とかというあれの事ですか。

先生
いや、そういう頭の中で考えたことじゃなくて、足を組み、手を組み、背骨を伸ばしてジ-ッとしていることが、自己の本源そのものだと、そういう考え方ですよ。だからいつかそういう状態が出てくるんじゃなくて、坐禅をした瞬間から自分自身の本源と一体になるという考え方です。


読んでいただきありがとうございます。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事していた愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅とは姿勢を正してきちんと坐ることである。 姿勢反射が働いて、交感神経と副交感神経とが同じになり、 考え過ぎからくる不満がなくなり、感じ過ぎからくる不安が消える。 実行力が生まれ、やりたいと思う事が直ぐできるようになり、 やりたくないと思う事はやめることが出来るようになる。 自分自身と宇宙とが一体となり最も幸福な人生を送ることが出来る。

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