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正法眼蔵 心不可得(後) 11

大証国師と大耳三蔵との問答について道元禅師の注釈は続きます。

大証国師の心と言えども、何の理由もなしに西の川でボ-トの競争を見ているという馬鹿げた事がある筈がないし、洛陽の近くの天津橋の上で猿の見世物を見ているという馬鹿げた事がある筈がない。釈尊の説かれた教えの中における体、心を保とうとするならば、同じように釈尊の教えに基づいたものの考え方を学ばなければならない。釈尊の説かれた教えにおいては、大地すべてが心に他ならないという考え方をする。

それは心が生まれたとか、消滅したとかと言う形のものでもないし、宇宙全体がすべて心そのものに他ならない。したがって、このような意味での宇宙全体が心であり、そういう心が宇宙そのものをつかんだ実体であると勉強すべきである。ところが大耳三蔵は、この様な形での釈尊の教えにおける心というものを見ることが出来なかったから、野狐の化け物の様な状態でしかなかったのである。

大耳三蔵は大証国師から三回聞かれ、前の一回と二回は返事が出来たという事ではなく、返事ができたような外見を示していたけれども、大証国師がどこにいるとか、大証国師の心がわかったと言う事では決してない。二度の質問に対しての返事でも、何の根拠もない西川と天津と競渡と猿の見世物の事が頭に浮かんだだけで、大耳三蔵はそういったものと遊戯的に遊んでいるところの野狐でしかない。どうして大証国師の実体を見ることが出来たであろう。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
仕事をどう働くかという問題は、いろいろ解釈がありましょうけれども、我々坐禅をしている仲間で考える限りは、生きていく生活の資を得れば足りるんでございましょう。

先生
そうではないね。生活の資を得ようと得まいと、そういう事とは関係なしに、自分自身が悔いのない一日一日を送っているかどうかという問題だと思いますよ。人間が働くということはね。経済的な収入があるとかないとかという風なことよりも、張り切って一所懸命せっせせっせと動いているかいないかという風な事と、仕事云々という事とは関係があると思いますね。
だからたまたまそういう仕事のある人は、その仕事に一所懸命打ち込めばいいんだし、またそういう仕事のない人は、一所懸命勉強するという手もあろうし、一所懸命孫の教育をするという手もあろうし、いろいろ現れ方があって千差万別です。だからどれが仕事で、どれが仕事でないというようなことはない。

質問
いや、孫の教育もいいですけれど、目的は坐禅をすることなんでしょう、人生の目的は。

先生
ただ坐禅をすることだけが、人生の目的ではないですわな。

質問
禅的生活をすることじゃないんですか。

先生
だから禅的生活というのはどういうことを意味するかね。

質問
バランスのとれた生活です。

先生
だけどバランスがとれたと言ってみても、やっぱり一人ひとりいろんな境遇があって、自分自身として満足のいく生き方をしているかどうかということになると思いますよ。
                        つづく--


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557:「仏教 第三の世界観」 by せっせせっせ on 2016/05/31 at 23:18:33

ようやく最後まで読み終わりました。
仏道が今後世界全体を一つの共同体として結びつけていく際の基本原理になるという、西嶋先生渾身の一冊です。
本の中では、仏教は必要か?仏教とは何か?が世界的視野で書かれているので私のように何もかも初めての者にもわかりやすいです。
今、仕事をどう働くかということが質問されてますが、仕事だけにとどまらず、「行為そのものに没入した状態、これこそ仏教が目指す最上の境地であり、一切の眼目である。」189p、「自分自身に親しみ、自分自身を味わうこと」190p
この実践が大切のように思いました。

558:Re: 「仏教 第三の世界観」 by 幽村芳春 on 2016/06/01 at 16:50:49

せっせせっせさんコメントありがとうございます。

私が「仏教 第三の世界観」を読み終えて先生にとても勉強になりましたと申し上げたら、先生は「この本を書きあげた時、これで世界は変わると思ったんだよね。でも変わることはなかった」と苦笑して言いました。
先生はこのように言われましたが、私は本当にこの本を読んでこの世界に対する見方が変わりました。本当に素晴らしい本ですよね。

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

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