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正法眼蔵 心不可得(後) 5

道元禅師の注釈は続きます。

仏道で言われている釈尊と同じ境地というものは、区切られた時間ではなしに三世(過去・現在・未来)という永遠の意味を持ったものである、永遠の存在である。我々の心というものと永遠いうものとの間柄を考えて見ると、永遠と心とはほんのわずかの食い違いもなく全く離れていないというものではあるけれども、また逆にその二つのものが離れたものであるという論議するならば、十万八千里の途方もない距離でさえまだ不足なほどの遠さがある。
    
※西嶋先生解説  
――我々の心というものは日常生活における現実の瞬間瞬間に現れるものであるから、現在の瞬間にあるという点において永遠の意味を持っている。しかしながらそれと同時に、我々の日常生活というものはごく具体的な現実的なものであるから、永遠という風な抽象的な論議とはまったく無関係だと言う事も出来る。だから二つのもの(心と永遠)は、全く同一のものだというとらえ方も出来るし、まったく無関係なものだと言うとらえ方も出来る。――

したがって徳山禅師が、「過去の心とは何か、現在の心とは何か、未来の心とは何か」と質問して来たならば、老婆は「それはつかまえる事ができないと言う事が、過去の心、現在の心、未来の心そのものだ」という返事をすればいい。今ここで述べた趣旨とは、心と言うものに関連して、それをつかまえる事が出来ないと言う名で呼ばれるところの心があると言っているわけではない。そういう心があるとか、ないとかと言う事ではなしに、心そのものがつかまえる事が出来ないと言う事実そのものと全く同一のものだと言う主張に他ならない。

心というものがあって、それが得られないということではなしに、ただ得られないという事実があり、それが心そのものだという理解の仕方になる。心というものがあって、それをつかまえることが出来るといっているのではなくて、我々の日常生活における実体というものは、つかまえることが出来ないという事実そのものである。実体そのものがつかまえることができないという内容のものに他ならない。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
お尋ねいたします。先ほど先生が、坐禅は坐っているばかりではなく、「世の中にお返しする」という点もあるというお話でございましたが、そのお話をお伺いしながら思いをめぐらしておったんですが、有名な百丈禅師の「一日為さざれば一日食わず」という有名な言葉がございますね、それはそういった意味が多分にあるんですか。

先生
百丈禅師のお気持ちをどういう風に考えたらいいかという問題については、ふつう世間では今言われたような解釈で「労働というものは価値が高い、だからその点で百丈禅師の言葉は実に立派だ」という批評の仕方をしますけれども、私はまあそれも一つの解釈であろうとは思いますけれども、つまりあの時の情景を考えてみますと、百丈禅師が一所懸命働こうとしたら、弟子が余計なおせっかいで働く道具を隠しちゃったので「俺はそんなことされるんだったら飯食わんぞ!」という、きわめて卑近な日常生活の出来事じゃなかったかという気もするんです。

労働が大事だから労働をしなければ飯は食わんというふうなことよりも、「俺が働こうと思っているのに自主性を侵害された。そんなことなら俺は飯を食わんぞ」という風な情景として解釈するということもありうると思いますね。労働の価値というものを頭に置くというのは、いわゆる西洋流の学問をした人のとらえ方じゃないか。つまり労働は神聖だというふうな考えを頭においてね。そうすると百丈禅師をそういうきわめて高尚な理論として理解できるということもあるわけですよね。けれどもどうもあの話を聞くと、「俺がせっかく働こうと思っているのに勝手なことをしやがって。そんなんなら飯は食わん」というふうなことだったんじゃないかという気がしますね。


読んでいただきありがとうございます。


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幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

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