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正法眼蔵 心不可得(後) 3

道元禅師の注釈は続きます。 

残念なことではないか。数百巻に及ぶ経典の注釈に関する権威であり、しかも数十年の長きにわたって「金剛経」を講じてきた徳山禅師が、身なりのあまり立派でない老婆から、たった一つの質問を受けたところがどう返事をしていいかわからない状態に落ちてしまったということは。師匠から教えを受けている人と、師匠から本当の教えを受けていな人との違い、あるいはしっかりした伝承を受けている人と受けていない人との間では、非常な相違があるので徳山禅師のような結果になったのである。

心不可得(心はつかまえることができない)と言う言葉を聞いた場合に、どんな場合にも心不可得と理解し、理屈ではわかったような気がしていたけれども、具体的な場面での生き生きとした活動ができない。またこの心不可得という言葉に関連して、本来自分がすでに心というものを持っているのであるから、それをもう一度得る事が出来ないと言う解釈をしている人もある。しかし、このような解釈も甚だ当たらない見方である。

この老婆の質問に答えられなかった時に徳山禅師は初めて、「画に書いた餅は、それをたべて腹の足しにする事が出来ない」と言う事がわかった。つまり、画にかいた抽象的な理論と、実際に腹の足しになる具体的な効果との間には、まったく別の世界があり、違った世界があり、それを同じ世界で論議することはできないということが分かった。また、釈尊の説かれた教えを実際に修行するためには、釈尊の説かれた教えが本当にわかっている人に出会って、その教えを聞くのでなければわかるものではないと言う事を思い知った。

そしてまた、単に文字の上だけで、経典やその他の注釈書に関係し一所懸命に勉強している人が、本当の意味の仏道上での力を獲得することはあり得ないということも思い知った。そして、とうとう崇信禅師に弟子入りして、師匠と弟子との間の関係というものがはっきりと現実のものになる事により、まさに仏道の真実を得た人になった。現在では、雲門宗・法眼宗という流派の指導者とされているばかりではなく、人々の指導者とされている。

※西嶋先生解説
前の「心不可得の巻と、後の心不可得の巻とでは、徳山禅師に対しる批評の仕方が違うということが現実としてあるわけですが、後の「心不可得」の方は、講義のための原稿という意味が仮にあったとすると、原稿の方では徳山禅師は相当なものだと書いておられたんだが、実際の講義ではあるいは本音が出てしまったのかもしれない。で、あまり高い評価が抗議の時は出てこなかったということになるのかもしれない。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問 
前の「心不可得」は講義の筆跡であり、後の「心不可得」は講義の草稿ではないかと言う事は、前の「心不可得」の方が本物なんですか。

先生 
いや、両方本物だということ。今日の講義はこういう話をしてやろうと思って道元禅師が一所懸命準備されたのが心不可得(後)の方で、それをもとにして滔々とお話になっているうちに、話が非常に発展してしまった。それでまた後の方の、この次にやるところの部分は講義をされないで終わったと、そういうことだと思います。だから、講義の原稿とその現実の話とはかなり違うものとなったのです。

質問 
臨済の「渇』と徳山の「棒」って並べて言いますが、その徳山ですか。

先生 
そうです、そうです。臨済宗では徳山禅師といえば大、大和尚です。だからこの徳山禅師をあまり軽く扱うと、臨斎系の人はカリカリするわけです。「正法眼蔵」六十巻本が編纂されているが、その中では徳山禅師のことを悪く言った部分は外されている。浮世の中の浮き沈みであったのかもしれませんね。


読んでいただきありがとうございます。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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仏向上事の巻に入りました。 仏(真実を得た人)とは、真実を得た後もさらにその事を意識せず日々向上の努力を続けている生きた人間の事である。そしてこのように真実を得た後も日々向上に努力して行く人のことを仏向上人と言い、その様な努力の事態を仏向上ノ事と言う。道元禅師が諸先輩の言葉を引用しながら説かれます。

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