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正法眼蔵 心不可得(前) 7

道元禅師の説示は続きます。

徳山禅師がどう考えていいのかわからなくてまごまごしているときに、老婆は餅を三つ取りだしてそれを徳山禅師に与えたらよかろう。そして徳山禅師が餅を取ろう手を出した時に老婆はここで「過去心不可得・現在心不可得・未来心不可得」という「金剛経」の文句を教えてやればよい。もしもまだ徳山禅師が迷いに迷っていて、せっかく差し出した餅を取ろうしないならば、餅を一つ取り上げて徳山禅師の頬っぺたの一つも叩いて行ってやればよい。「魂のぬけた死人同然の人間よ、ぼんやりするな」と。

このように老婆が言ったときに、徳山禅師が何か言葉を言うことができたならばそれでよろしい。しかし何も言わないならば老婆はさらに徳山禅師のために何か教える言葉を言ってやるべきであった。ところが老婆は得意になって袖を払って立ち去ってしまった。袖の中に蜜が入っていたのでもなかろうに。徳山禅師も「自分は何も言うことができないから、私のために何かおっしゃってください」とも言わなかった。徳山禅師はいうべき言葉を言い得なかったばかりでなく、質問すべきことを質問せずに終わってしまった。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
実際に今の世の中で、占い師なんか色々なことを言いますよね。「君は前世に悪いことをしたから、今世でこういう目にあっているんだ」とか「今世であんな悪い野郎がどうしてあんなに楽々と暮らしているんだ」と言うと、「ああ、あの人は前世でもっていいことをしたから、そのお蔭をもって現在はのうのうとしているんだ」と。こういう説は道元禅師は認められないんですか。先生も認めないんですか。

先生
うん、その点では結論的に認めないという事は言えると思います。「正法眼蔵」の中に、「三時業」と言う巻があるわけです。そこで説いていることはどういうことを説いているかというと、この世の中の一切は因果関係だという主張が仏教にはあるわけですが、ただ世の中の出来事を見てみると、善いことをしている人が必ずしも幸福でない場合もあるし、悪いことをしている人が幸福な状況もあるので、果たして原因・結果の関係がそれほど厳密に作用しているかどうかという疑問を持つ場合もある。

しかし、そういう疑問がなぜ起こるかというと、因果関係における原因と結果との関係については、原因があってすぐ結果が生まれる場合と、原因があってしばらく時間がたって結果が生まれる場合と、原因があって非常に長い時間がたってから結果が表れる場合と三通りある。そういう場合に、原因があってから非常に長い期間結果が出てこないと、人は原因と結果の関係に例外があるんではないかと考えがちだけれども決してそうではない。

原因と結果との関係に非常に長い時間が経過するという場合もあって、原因と結果との間に時間の長い短いはあるけれども、原因と結果の関係は100%一分一厘の狂いもないというのが実情だというが「三時業」の巻でも説かれていると、見ていいと思います。ですから前世というのがあって「お前は前世に悪いことをしたから」という事は、まったくでたらめだと言い切っていいと思います。そういうふうな形のものではないんだ。もっと厳密な原因といえば、ご飯を食べ過ぎればお腹が苦しくてしょうがない。前の日に一杯飲んで十分に睡眠をとらなかったら翌日眠くてしょうがない。そういうふうな原因・結果の厳密な関係によって一切が貫かれている。これが言えると思います。

ただ前世というものがあって、前世の影響が今世に続いているというふうなことも、「前世」という言葉を過去と捉えるならば、過去の事実が今日に影響しているという事ははっきり言えるわけです。輪廻、転生的な考え方で、別の境涯があって、それが今世に影響を与えている事はないと言い切っていいと思います。言い切らなければならないと、そう思います。


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。68歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」戒名幽村芳春。平成20年「嗣書」授かる。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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