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正法眼蔵 心不可得(前) 3

道元禅師の説示は続きます。

徳山禅師はある時、釈尊以来代々の祖師方によって受け継がれてきたところの最高の教えがあると聞き、「金剛経」について自分以上の注釈をした人がいるはずがないと腹を立てた。 怒りを抑える事が出来ず、経典、注釈をたずさえて山川をわたって旅行していった。 そして、たまたま竜澤と言う場所における崇信禅師の仏教教団の事を知り、その教団に行って勉強しようと思いそこに向かった。 その旅の途中で疲れて一休みしていた。その時一人りの老婆が来合わせて同じように一休みした。

老婆に徳山禅師言う:お前さんは、どういう人かね。

老婆言う:自分は、餅売りの老婆です。

徳山禅師言う:それじゃ、わしは餅を食べたいから売ってくれないか。

老婆言う:和尚さんは餅を買って、いったい何にしなさるのです。

徳山禅師言う:餅を買ってそれを食べて、心の疲れを癒そうと思う。

老婆言う:和尚さん、あなたは大きな荷物を持っておられるようだけれども、それは一体何ですか。

徳山禅師言う:お前は知らないのか。わしは周と言う名の金剛経に関する権威で、これは金剛経の注釈書である。

老婆言う:和尚にこの老婆が一つ質問があるのですが、許していただけるでしょうか。

徳山禅師言う:よし、質問を許してやろう。お前はどんな事でも構わんから遠慮なく質問せよ。

老婆言う:自分はかつて金剛経の説法を聞いたが、その中でいうには過去心不可得(過去の心もつかまえる事が出来ない)・現在心不可得(現在の心もつかまえる事が出来ない)・未来心不可得(未来の心もつかまえる事が出来ない )と聞いておりますが、その過去も・現在も・未来もつかまえる事の出来ない心のどれを持って来て、和尚は餅を食べぼんやりした心を直されようとするのか。そんな心というものは、どこにもないはずではございませんか。和尚がこの質問に答えられるなら餅を売ってあげましょう。 しかし、気のきいた返事がないようでしたら、餅を売るわけにはまいりません。

徳山禅師:・・・・・

徳山禅師(周金剛王)は、呆然としてしまって、何と答えていいのかさっぱりわからなかった。そこで老婆は袖を払ってそのまま立ち去ってしまった。とうとう餅を徳山禅師に売らなかった。



          ―西嶋先生にある人が質問した―
 
質問
坐禅をして仏道の修行をしておりますと、世の中に対して色んな事件に対して非常に消極的になってしまうと、今私はそう言う事をよく感じるのですがそれでいいわけですか。つまり私の話を聞きに来る人の旦那さんが急に亡くなったんです。その人は本妻ではないんですが、旦那さんとの間に有名大学を出た優秀な息子さんがいます。いま本妻の子供と、その認知された子供の分け前でもって喧嘩してるんですね。そしたらその人が私の所にやってきて「先生どうしたらいいんでしょか」って。私、これは深入りしちゃいけないなあって消極的になってしまうんですが、どんどん攻め込んで電話をかけてくるんです。それはやっぱり四段階で考えて対処すべきでしょうか。

先生
うん、そう。

質問
そうすると消極的になってしまう。

先生
だから消極的になるのもいいし、積極的になるのもいいしと言う事はあるんですよね。けれども原則的に言うと、ちょうど水の表面のようなものでね。水の表面はどんなにかき回しても、ちょっとかき回すのを止めると平らになっちゃうんですよ。ああいう状態が法の世界だと思います。だからそういう点では、水の表面の様な形になれば、一切の問題と言うのは一番いい回答が出て来るわけですよ。ところが水をかき回しながら「どうも落ち着かない、落ち着かない」と言う考え方なり生き方と言うのは割合多いんですよね。ほっとけば平らになっちやうんです。
  
質問
でも、遺産でもって今やっているんですから。

先生
だからそういう点では、くだされば頂きます、もらえなければ諦めますと言うのが本当ですよ。ところがね、私はそんなの欲しくないんだけれども・・・てな事を言っている人が案外訴訟なんかやったりするからね。人間と言うのは実に可笑しいんですよ、そういう点では。 「いや、僕は財産なんかどうでもいいです」てな事を言っている人がわりあい熱心に訴訟して来る。そういう点では、くだされば頂く、頂けなければ諦めると言う生き方が一番いい生き方だと思います。

と言うのは財産と言うものは、もらっても使いようですぐ使ってしまって何もなくなってしまって、なくなった事が悔しくておかしくなってしまうと言う場合だってあるわけだから。そうすると、財産がある事がいいのか悪いのかもハッキリわからんのでね。財産がないと一所懸命働かなくてはならないと思って働いているうちに、その仕事の方を覚えちゃって、どんどん財産をつくっていくと言う場合だってあり得るしね。だからそういう点では、世の中は実に色々ですよ。十年経てばずいぶん変わってます。二十年、三十年経てばずいぶん変わっていますよ。だから財産なんて言ったって、これをもらわなきゃ一生うだつが上がらないなんて事は絶対にないね。もらわなきゃもらわないでそれだけの対処をすれば、その人の人生と言うものは必ず開けて来るわけだから。

質問
ああ、そうですね。 「それ、弁護士でも頼んだらいいでしょう」って私電話しちゃって、悪い事しちゃった。

先生
そう言う事については、カリカリ焦るのはあんまり利口な生き方じゃないと思いますよ、私は正直言うとね。ここでもって頑張らなきゃ損みたいに考えてみんな一所懸命頑張って、仲のいいのも悪くなったりしているけれども、それほど頑張る価値があるのかどうかと言う事は言えると思います。

質問
ありがとうございました。

先生
人からもらうよりも、自分で働いた方がよっぱど財産が出来るんだと思います。もらう方に一所懸命になるよりは、自分で一所懸命働いた方が出来るという事はあると思います。


読んでいただきありがとうございます。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

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