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正法眼蔵 法華転法華 23

「心悟れば法華を転ず」について道元禅師の注釈は続きます。

また塔の中の古仏(過去における真実を得た人)が霊鷲山に現れる場合には、その霊鷲山そのものが、古仏の方々の国土として永遠の時間において現れるのである。 この地上に現れるとか塔の中に入るとかという関係も凡夫の常識的な考え方で、宝塔の中で途轍もなく尊く、この地上の世界がそれほど価値のないものだという見方をしてはならない。この世の中で一所懸命生きていくならば、釈尊や「法華経」の中に説かれている仏と全く同じ境涯で生きることが出来るということを勉強すべきである。また永遠の世界に入るということは、仏に備わっているところの装飾を具体化したものである。

「法華経」に説かれた、塔の中、仏の前、価値の高い塔そのもの、虚空(空中)というものも、釈尊が形成された教団と同じだと考えるべきではない。宇宙と別々のものが一つになるということでもない。その一部分ということでもない。全部が全く同じということでもない。これは宇宙のどこに位置としているか、自分の状態がどんなであるかということが問題なのではなくて、つまらないことを考えないで、一所懸命に生きていく事が大事なのである。ある場合には釈尊と同じような姿になって真実の教えを説き、ある場合にはこの現実の具体的なありのままの姿を現して、人々のために真実を説くといういき方もある。

釈尊の教団において、釈尊に危害を加えようとした菩提達多と言う人の行動も宇宙の生き生きとした一つの活動である。釈尊が法華(素晴らしい宇宙)を説かれようとした時に「自分達はもう悟っているから結構です」と言って退席して行った人々がいたと伝えられているけれども、そういう生き方でこの宇宙における活躍を示した例もある。また、手を合わせて真実を待望してじっと待つと言う現れ方もあるけれども、それがどのくらいの時間だというような時間を限定して考えてはならない。仮に無限の何倍かであると言って見ても、これによって釈尊の智慧の広大さを推測する事は不可能である。

この転法華(自分自身が積極的に宇宙を動かしていく)というものは、特に真実を追求する人だけが実践した道だと考えてはならない。この世の中のありとあらゆる人々、ありとあらゆるもののそれぞれに備わった道だと考えなければならない。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
仏道は難しい、難しいと言いますけど、本当はどうしようもなく易しいんだと思います。 私たちが勉強してきたものはみんな難しかったから勉強は難しいと信じ込んでいる.。私自身はあまり平凡なことを改めて言われると、それを難しく取ろう、難しく取ろうとしているから難しくなってしまうのではないかと・・・。

先生
まさにその通りですよ。ですから仏教を難しくするのは坐禅をしないからですよ。坐禅をしますとこのくらい簡単なものはない。坐禅をしている以外に仏道なんていうものはあり得ない。ただ坐禅をしていればいいというだけの問題。ところが坐禅をせずにさて仏道を理解しようと思ったら、何万冊、何百万冊と本を読んでも絶対わかるものじゃない。仏道というのはそういうものだという事がはっきりあると思います。

だから坐禅をしている限り、こんな易しいものはない、わかるもわからないもないわけで、脚を組み、手を組み、背骨を伸ばしておれば、自分自身と仏道とは別ものではないという事情が直ぐ出てくるわけです。そういうものが仏道であるし、それが釈尊の教えだと、こういう事が言えると思います。

質問
子育てが一応終わって、今まで自分は子育てを一所懸命やってきたけれども、振り返ってみると空しい感じになっています。そういう人たちが仏道を求めたきた場合に、どの様なお話をしてあげればいいのでしょうか。
      
先生
話では、空しさは解消しないね。どんないい話を聞いたって空しさは解消しないよ。やっぱり坐禅をやる事しかないね。いや、これは本当に私はそう思う。まさに我田引水だけどね。私は腹の底からそう思う。と言うのは、話で知識を注ぎこんでも、決して空しさは無くなるもんではないんです。だから、よく仏教講話というのが行われていろんな会がありますけれどね、私は人生に対するプラスというのは殆んどないのではないかと思います。

迷いを増すばかりだと思います。やっぱり、坐禅と抱き合わせでなければとうてい意味がないもんだと思います。だから、子供を育てる事を終わられた方も何によって生甲斐を感じるか、それは坐禅です。足を組み、手を組み、背骨を伸ばして、ジ-ッとしている。理屈ではなしに 、何となく「何で自分が子供を育てた事に意味があるか」と言う事を、体全体で感じる事です。その方がいいんじゃないかと思います。その方が本当の意味の解決になると思います。


読んでいただきありがとうございます。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事していた愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅とは姿勢を正してきちんと坐ることである。 姿勢反射が働いて、交感神経と副交感神経とが同じになり、 考え過ぎからくる不満がなくなり、感じ過ぎからくる不安が消える。 実行力が生まれ、やりたいと思う事が直ぐできるようになり、 やりたくないと思う事はやめることが出来るようになる。 自分自身と宇宙とが一体となり最も幸福な人生を送ることが出来る。

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