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正法眼蔵 法華転法華 17

「心迷えば法華に転ぜられる」について道元禅師の注釈は続きます。

そうしてみると、我々が今、現に姿を備え、現に本質を持っているということは、法界(宇宙全体)において本来の行いをしていると理解したらよいのであろうか。微塵(個別的な、具体的な世界)の中で、本来の行いをしていると理解したらよいのであろうか。実体をよくよく見るならば、そこには驚きもないし、疑いもないし、恐れもないし、おじける事もない。ただ宇宙が運営されていく事に伴って深く、かつ永遠な形で本来の行いが行われているに過ぎないのである。

この微塵をみるか、あるいは法界を見るかと言う事は、人間の作為的な動作でどうこうとか、人間の頭で考えてどうこうと言う事ではないのである。その点では、我々が頭の中で色々と考えたり作為的に色々なことをやるという事も、究極では、宇宙大の大きさでそのことを考え、また宇宙大の動作でそのことを実際に行うべきである。したがって、真実を得た、真実の世界に入ったという言葉を聞いた場合には、生きとし生けるものを真実の世界に入らせたいと思う事であると聞くべきである。

真実を得た人々(仏)の見方や考え方を聞くことは、宇宙が運行されて仏の見方や考え方を自分自身が示す、自分自身が現すということに他ならないと勉強すべきである。また仏の見方や考え方を自分のものにして理解すると言う宇宙の運営は単に頭の中で理解した理解しないということではなくて、現実にその真実の見方や考え方の中に入っていくことだと勉強すべきである。また仏の見方や考え方を実際に示す宇宙の動きは、仏の見方や考え方を悟る、理解すると学ぶべきである。

このようにして真実を悟る、あるいは真実の世界に入るという宇宙の動きというものには、それぞれ究極の理解をするための方途が開かれている。一般的にいって、この多くの真実を得られた方々(仏)の真実に到達するための見方や考え方は、広く、大きく、深く、永遠の意味を持ったこの宇宙の転回、転動そのものに他ならない。釈尊から将来真実を得るであろうという保証を頂くということも、実は自分自身が仏の見方や考え方を持つことであり、自分以外の人から授けられるものではなく、宇宙そのものの運営に他ならない。これこそが「心迷えば法華に転ぜられる」という状態であり、また宇宙が自分の力で動いていくということでもある。

※西嶋先生解説
ここで述べられていることは、我々の日常生活において迷いはいくらでもある。苦しみというものはいくらでもある。そういうものも、結局は宇宙の働きであり宇宙の転回に他ならない。そういう点では、悟ったとか悟らないということが問題ではない。我々がどういう世界に生きて、どういう働きをしているかという実体をつかむということが、悟る、悟らないと言う事よりはるかに大切である。その実体のつかみ方の一つとして、自分の気持ちが迷っている状態の時は、宇宙が自動的にどんどん動いて自分を引きずって行ってくれると理解すべきであると言う趣旨である。

ここのところは「正法眼蔵」の中でも非常に難しいところの一つ、ただどういうことを説いておられるかという趣旨は、いま述べた様に、我々の日常生活というものは、いいこと、悪いことというふうに二つにはっきり色分けして、悪いことをなくして、いいことをというふうな簡単な組織には出来上がっていない。それでは救いがないかというと、そんなことはない、迷ったままでも、宇宙の一つの動きとして救われておるということも、今日やったところの趣旨ということになるわけ。
  
※私の独り言。
1981年5月3日、貸店舗より念願の自宅兼店舗に移り開店した日です。五月晴れのいい日でした。小2だった息子も今は43才、奥さんと仲良く暮らしています。1才だった娘も今は36才、四人の子供(小2・年長・三才の男女の双子)の母親となり家族六人仲良く暮らしています。孫たちの成長を楽しみにこれからも仕事を続けたいと思います。


読んでいただきありがとうございます。


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コメント
545: by 大川原英智 on 2016/05/03 at 22:45:15

こんばんは。

コメントをいただき、ありがとうございました。

数十年ぶりの座禅会でしたので、少し緊張しました。

でも、15名のメンバーとともに、結跏趺坐で40分やり通すことができ、心があらわれるようでした。

月1回の早朝の集まりですが、次回もまた参加したくなりました。

546:Re: タイトルなし by 幽村芳春 on 2016/05/04 at 12:28:17

こんにちわ。
数十年ぶりの坐禅会で、40分結跏趺坐をやり通せたというのはすごいですね。
「正法眼蔵」に三昧王三昧の巻があります。その中で一切の三昧の王に位置するのが坐禅であると説かれています。
坐禅を朝晩毎日やっていると本当にその通りだと思います。坐禅以上に夢中になれるものはないと思います。
どうぞ坐禅に親しんでくださいね。
そして「正法眼蔵」はまだまだ続きますので宜しくお願いします。

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事していた愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅とは姿勢を正してきちんと坐ることである。 姿勢反射が働いて、交感神経と副交感神経とが同じになり、 考え過ぎからくる不満がなくなり、感じ過ぎからくる不安が消える。 実行力が生まれ、やりたいと思う事が直ぐできるようになり、 やりたくないと思う事はやめることが出来るようになる。 自分自身と宇宙とが一体となり最も幸福な人生を送ることが出来る。

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