トップページ | 全エントリー一覧 | RSS購読

正法眼蔵 法華転法華 6

※西嶋先生解説
――法華転法華の法というのは、我々の住んでいる宇宙ということ。その宇宙が花の様に素晴らしい世界だということで、法華というわけです。法華が自分でどんどん動いていく、それが法華転、それから転法華というのは、人がその宇宙を動かしていく。だから宇宙と人間とはお互い様、両方がお互いに働きあって、この現実というものが動いていく、流れていくという意味が法華転法華という言葉の意味である。――

本文に入ります。
偉大な唐の国の宝林寺大鑑慧能禅師の教団に「法達」という和尚が参加した。そして法達自ら言うには「自分は妙を読むことが三千回に及んだ」と。そこで大鑑慧能禅師言う「たとえ経典を読むことが一万回に達しようとも、経典の意味を理解していないならば、自分自身の誤りさえ知る事が出来ないだろう」と。法達言う「私は頭も悪く鈍感であります。今日まで法華経の意味もわからず、ただ文字を追って声高に読んできました。どうしてその根本思想がわかるはずがありましょう」と。大鑑慧能禅師言う「お前、試しに一度読んで見たらよい、自分がお前のために解説してやろう」と。そこで法達は法華経を声を上げて読み始めた。

そして法華経の方便品まで来た時、大鑑慧能禅師言う「そこで止めよ。この法華経は言うまでもなく釈尊がこの世に出現せられた直接・間接の原因は何であったを説くことを根本思想としている。だから法華経には、たくさんの比喩が説いてあるけれども、いちばん根本の思想というものはこの釈尊出現に関する直接・間接の原因を逸脱することはない。

それでは、この世の中に生れてきた直接・間接の原因、あるいは自分自身が今日この世の中に生きているという直接・間接の原因とは何かと問いかけてみると、ただ仏道を勉強したい、仏道に到達したいという一つの非常に大きな事業のために生れてきたということに他ならない。その一大事とは何かというと、別の言葉でいえば、現在の瞬間において真実と一体になった人々のものの考え方であり見方である。このように真実を得た人々は、初めから真実を得た人のものの見方、考え方と一体になっているのであるから、その人は最初から真実を得た人に他ならない。そこでお前は、今まさに信じなければならない。仏の見方、考え方は現にお前が持っている自分自身の心に他ならない」と。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
「唯仏与仏」つまり仏の心は仏でしか・・・。どんなことをしたってわからないわけですね。だから私どもは悟れてないんだから、「唯仏与仏」というわけにはいきませんね。

先生
「唯仏与仏」というのは、一番具体的な話として、坐禅をした人には坐禅をしている人の気持ちはわかるということです。だから坐禅をしない仏教というのは非常に的外れ。なぜ的外れかというと、仏の境地を経験していないからなのです。坐禅をしたということは、仏の境地を経験したということですから、坐禅をしてた人は坐禅をした人の気持ちがわかりますというのが、「唯仏与仏」ということの意味です。だから坐禅をすることが仏教を勉強する上においては絶対の要件だということが言える。「法華経」で「唯仏与仏」と言われたのは、坐禅をやった人間にはわかるということを言われたというふうに考えて間違いじゃない。それと同時に、坐禅をやった事のない人には坐禅というものがどういうものだかわからんというふうに言われた。


読んでいただきありがとうございます。


関連記事
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

最近の記事

最近のコメント

リンク

カテゴリ

フリーエリア

坐禅とは姿勢を正してきちんと坐ることである。 姿勢反射が働いて、交感神経と副交感神経とが同じになり、 考え過ぎからくる不満がなくなり、感じ過ぎからくる不安が消える。 実行力が生まれ、やりたいと思う事が直ぐできるようになり、 やりたくないと思う事はやめることが出来るようになる。 自分自身と宇宙とが一体となり最も幸福な人生を送ることが出来る。

FC2カウンタ-