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正法眼蔵 嗣書 1

「嗣書」の巻について西嶋先生の話です。

この嗣書というのはどういう意味かと言いますと、「仏祖」の巻の中で代々の仏教教団の指導者の名前が書き連ねてあったわけでありますが、道元禅師は仏道における伝統というものを非常に重要視された。だからそういう点では、師匠から弟子に教えが伝わったという場合には、その伝わったということを証する書き付けと言うものがあるという考え方で、その書き付けを嗣書というふうに言われたわけです。この「嗣書」という巻は、師匠から弟子に対して教えが伝わったということの証拠につくられたところの嗣書と言う書類、書き付けについての考えを述べられ、また道元禅師ご自身が宋の国において見てこられた嗣書の実例について述べておられます。

※このブログは寺院生活をするために書いているわけではありませんから、「嗣書の巻」本文については省略します。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
天童如浄禅師から道元禅師に嗣書されたということは、実にはっきりした事実でございますね。ところが、いま私がお尋ね申し上げたいと思いますのは、「釈尊はその師匠である迦葉仏から教えを受けた」ということでございます。これは釈尊伝にはっきりございますんでしょうか。

先生
ないですね。第一、迦葉仏というのは釈尊の時代よりもはるかに昔というふうに想定されておられるし、また歴史上事実おられたかどうかということもはっきりは残ってないわけですよね。ですから釈尊以前の六人の方の伝承というのは、伝説としてそういうものが語り継がれたということであって、釈尊と摩訶迦葉尊者との間の様に、歴史的にはっきり伝承があったという性質のものではないと思いますよ。

ただ釈尊が初めて仏道の真実をつかまれたのではなくて、もうこの世ができた当初から仏道そのものは実在していたんだけれども、釈尊が初めて発見されたというところから見ますと、釈尊以前にも真実を得られた方はたくさんあったであろうと、そういう推察がもとになって、仮に六人の方の名前が生まれてきたといふうに見るべきだと思います。

道元禅師は、単に心だけの問題でなしに、具体的な物というものをも尊重された。だから仏道についてもこういう嗣書というものを非常に大切にされた。お袈裟を大切にされたということも同じような意味があるわけです。そのことは我々のこの生活そのものが単に精神的なものだけでなく、物質的な基礎があって、初めて精神的なものもあり得るんだ。だから、物を度外視して精神的なものだけを主張するということは仏道ではないし、そうかといって、精神的なものを全部はずしてしまって、物だけだというのも仏道ではないということが、こういうところにも現れてきておるということが言えると思います。

質問
嗣書というものは大変大事なもののようでございますが、現在のお寺で嗣書を次々にいただいている人というのは、つまり住職を継ぐ人だから、子孫に渡すんだ、子供にっていう、そういうことになりますか。

先生
いや、そうではなしに、一人の師匠から嗣書をもらった人というのは何人もいます。丹羽廉芳禅師の弟子でも私が19番目だから、19人は貰っているはずです。それで私の後にも何人かもらっていますからね。丹羽禅師でも20何人かは嗣書を与えてるわけですよね。だから一人だけと限ったものじゃないです。


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。68歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」戒名幽村芳春。平成20年「嗣書」授かる。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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