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正法眼蔵 山水経 26

山水(自然)について仏教の立場でどう考えたらいいかという道元禅師の説示は続きます。

この宇宙と言うものが様々の実体を持ち、その宇宙を舞台として人間が活動し人間が価値のある業績を残すとするならば、この宇宙そのものが宝と言う事が出来るし、その宝である宇宙の中に山があると言う関係も考える事が出来る。 また山は相対的なもので、水のたくさんある沢があればこそ山がある、低いところがあればこそ高い所があると言う関係でもあり、また山は我々が住んでいる空間の中に存在するものであり、さらに山が現にそこにあるということは、山の中に山が入り込んでいると言う捉え方も出来る。山は山以外の何物でもないと言う捉え方も出来る。

この様に山が山の中に隠れているという考えをすれば、隠れている事が山の性質であり実体であると言う捉え方も出来る。 過去における仏教界の先輩が言われるには、理屈は色々あるかもしれないけれども、結局のところ山は山に他ならないし、水は水に他ならないと言う言葉も残しておられる。この言葉はどういう意味かと言うと、山というものと山と言う言葉があって、山が山であるというふうに、二つのものを一つに合わせたという考え方ではなくて、具体的な山がそこにあるだけだという捉え方である。

したがって、この現実の実体としての山を勉強して見る必要がある。山というものの実体を勉強するならば、山というものについて仏道修行をした事になる。 このような山とか川、あるいは自然を勉強する事によって、賢人が生まれ聖人が生まれるという結果を生むのである。      

西嶋先生解説 
ここで道元禅師は我々の仏道修行というものも、山とか川とか自然を舞台として行われるのであるから、西洋思想のように自然と人間とは別々の世界であって、人間はその自然を征服してそれを利用するという考え方ではなしに、自然そのものが仏道修行の舞台であるという考え方で自然を捉え、その自然がどういうものであるかと言う 事を勉強するべきだと説かれたのです。だからこの「正法眼蔵・山水経」は、仏教における自然観、自然に対する見方を説いている巻と言えようかと思います。

        1240年旧暦10月18日
        観音導利興聖宝林寺において人々に示す。



          ―西嶋先生の話―

今日は智慧と言う話をちょっとしたいと思います。智慧と言う言葉は日常生活でずいぶんよく使う言葉で「あの人は智慧がある」とか「智慧がない」とかとよく言うわけです。普通今日的には、智慧と言うのは頭がいいとか、頭が悪いとか、あるいは知識があるとか知識がないとか、そういう意味につかわれる場合が多いわけですが、本来は仏教用語なのです。梵字、すなわち古代インドの言葉にサンスクリットと言う言葉があるわけだけれども、そのサンスクリットのプラ-ジュナ-と言う言葉があって、それを漢字の音に直して般若と言う言葉となり、この般若と言う言葉の意味を漢字で表したのが智慧と言う言葉である。 

この知恵と言うのはどういう意味かと言うと、その働きを簡単に説明すれば、正しい判断の基礎ということである。日常生活の中で頭がいいということも、ものを考える力があるということ、あるいはいろいろ知識を持っていると言う様な事もかなり大事な事ではあるけれども、それよりも大事なのは、正しい判断ということ。どっちにしたらいいかと言う問題が人生の方向を決めるわけである。だから常に正しい判断をしておれば、まっすぐに歩けるから、自分の人生目的に早く着ける。ところが正しい判断と言うものが出来ないと、右に曲がったり、左に曲がったり、うろうろしているうちに一生が終わってしまうという恐れがある。だから人生が幸福であるか幸福でないかということの非常に大事な基礎は、智慧があるかないかということにかかわってくる。 

例えば智慧と言うのはどんなことかと言うと、総理大臣が飛行機の購入に関連して机の上に五億円の札束をドスンと置かれた。その時に「はい、ありがとうございます」と言っていただく方がいいのか「いや、これは受け取れんよ」と言う方がいいのか、その辺が智慧があるかないかということの分かれ目となるのである。 
                            つづく--


読んでいただきありがとうございます。


  
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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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仏向上事の巻に入りました。 仏(真実を得た人)とは、真実を得た後もさらにその事を意識せず日々向上の努力を続けている生きた人間の事である。そしてこのように真実を得た後も日々向上に努力して行く人のことを仏向上人と言い、その様な努力の事態を仏向上ノ事と言う。道元禅師が諸先輩の言葉を引用しながら説かれます。

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