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正法眼蔵 山水経 4

芙蓉道楷禅師の言葉について道元禅師が注釈されます。

山には山の様々の性質というものがあって欠けたものは何もない。山は動かないと言う捉え方もできれば、常に動き回っていると言う捉え方も出来る。この山が動くと言う捉え方についても十分に勉強して見る必要がある。山が歩くと言う事は、人間が歩くのと同じ様でなければならないと考えてしまう。山が歩くと言う事が、人間の歩き方と同じ様に見えないからといって、山が歩くと言う事を疑ってはならない。現に真実を得られた指導者である芙蓉道楷禅師が山も歩くと明確に指示しておられるが、これこそ真実を把握した言葉である。この山も歩くと言う教えを十分に勉強し究明して見る必要がある。山が山としての活動を続けていればこそ、それが山としての恒常的な実態を示しているのである。

山が歩くその早さは、風の速さよりもさらに早いのであるが、山の中に入り込んでしまっている我々人間には、それを感じる事もなければ認識する事もないのである。ここで山の中と言っているのは、この我々が住んでいる世界の中の様々の現象の事である。そして山の中に入り込んでいる人が、山も歩く事について感じる事なく認識する事もない。それと同じように、山の外にいる人も、山が歩く事について感じる事もなく認識する事もない。山を見るだけの眼を具えていない人には、山の中であろうと、山の外であろうと、山も歩くということをわからない、知らない、見ない、聞かないと言う事がその理由である。

もし、山が歩く事を疑う人があるならば、その人は自分自身の足で歩くと言う事についても十分な認識のない人である。自分自身が歩かないと言う事ではない。ただ自分が歩くという事がどういう事かわからないのだし、それが解明出来ていないというのが実情である。自分の歩くと言う事が、どういう事かと言う事がはっきりわかるならば、山が歩くと言う事の実態と言うものもわかるはずである。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
黙照禅(只管打坐)と看話禅(公案を使用)のどちらかを選ぶ段階では、十分な注意 が必要だと先生は言われましたが・・・。 その辺の選び具合と言うのは極めて難しいと思うんです。

先生
真実は一つしかないと言う事、これはハッキリ言える。 だから妥協しなければ必ず真実に到達しますよ。 真実に到達しない最大の原因は妥協ですよ。 世間並みの色々な感覚に引きずられて、はっきり知らなければならない事を誤魔化して通り過ぎてしまえば真実に到達しない。それと同時に妥協しなければ必ず真実に到達する、そういう問題がある。 道元禅師が「名利の心を捨てろ」と言われたのはそこなんです。
    
だから名誉と利得を捨てるならば必ず真実に到達する。この世の中には様々なグル-プがあって様々な動きがあると言う事、しかもなぜそれが維持されなければならないかと言う事の最大の原因は名誉と利得ですよ。名誉か利得のどっちかにひきずられていると真実を見る力がないんです。真実を見るだけの勇気が出ないんです。だから真実を見ようとする気持ちさえあるならば、妥協すまいと決心し、真実だけを求めようとして生きようとするならば必ず真実に到達する、これはもう鉄則です。
    
道元禅師が名利の心を捨てろと言ったのはそこなんです。名利の気持ちがあるうちは仏道修行と言うのは始まらない。名利の心を捨てたらすぐ真実に到達する。その事は見栄や外見を捨てると言う事です。いままで一所懸命この教えをやっていたけれども、どうもおかしいなと思ったら捨てると言う事です。だから私の講義を聞きに来ていて、どうも西嶋のいう事は納得いかないと言うのならもうやめたと言う事で、そういう態度でないと真実と言うものはわからない。

「まあ、今迄通ったんだから行きがかり上ついていこう、どうもおかしいと思うけれども、まあしょうがないからついていこう」(笑)と言う事では、真実に到達しないんです。 真実を求めると言う事はかなり厳しい面を持っていると同時に、そういう生き方をしないと時間つぶしになる。

※私の独り言。
宗教の問題は妥協しないで徹底して詰めて「これだ」と自分で決めるべきものだと思う。 道元禅師が「弁道話」の巻で「一盲が群盲を引くようなものだ」と言う表現をされて、宗教の問題も一面非常に怖いものを持っているから警戒しなければならないと言われています。


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コメント
540:名利を捨て、妥協を許さず真実を知る by せっせ せっせ on 2016/03/23 at 03:19:10

日常の仕事でも、名利の心を捨てて「これだ」と思ったことに対し、妥協しないで本気で取り組まないと結果が出ません。
仏道を学ぶということは、今目の前の現実を学ぶということですね。

542:Re: 名利を捨て、妥協を許さず真実を知る by 幽村芳春 on 2016/03/23 at 16:00:43

せっせせっせさんコメントありがとうございます。

坐禅をしていると、名利や利得から意識しなくても離れ、せっせせっせと目の前のやるべきことをやっていますよね。。
これからもよろしくお願いします。

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

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