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正法眼蔵 山水経 3

太陽山の芙蓉道楷禅師が多くの僧侶に説示して言われた。    

青々と木の生い茂っている山も絶え間なく歩いており、何の変哲もない石も夜な夜な子供を生む。

※西嶋先生解説。
ふつう我々は、山と言うものは動かないもの、川の流れはいつも動いているというふうに考えている。ただ相対的なものであるとするならば、川の水が動かなくて山が川の上を走っているという見方も間違いではない。普通、常識的には固定的に考えるから、山は動かないもの、川は流れるものと言う考え方をするに過ぎない。だからそういう点では、自然が非常に相対的だということを草木の生い茂った山と言うものが歩いておる。それから石が夜、子供を生んでいると。

そんなバカなことがあるもんかと言う考え方も勿論ある。石と言うのは、十日見ていても二十日見ていても大きくもならなければ小さくもならないというふうな考え方が出来ると同時に、今日、海岸や河原にあるところの砂と言うもの、これも昔は大きな石であったはずだ。科学的に説明するとそういうことになる。大きな石が、暑さ寒さを何万回、何億回と受け取ると、そのうちにボロボロと細かくなって砂のようなものになる。それがまた重い石の下に敷かれ長い年月がたつと岩になったりもする、あるいは地熱に溶けて溶岩となって流れるとまた大きな岩になるという風な事で、人間の常識からすると非常に固定的な不動のものに思われる自然と言えども常に変化している。その点では「子供を生んでいる」という芙蓉道楷禅師の直観的な自然の捉え方と言うものが、間違いでないと同時にそういう直観的な捉え方の内に真実が含まれているということも感じざるを得ない。



          ―西嶋先生の話―

我々が、なぜ仏教を勉強したり「正法眼蔵」という本を勉強するかという問題について話します。今日の時代というのは基準になる考え方のない時代です。「どういう考え方に従って生きていったらいいのか」と言う事がわからない時代と言うのが、今日の時代の特徴ではなかろうかと思うのであります。昭和ニ十年、戦争に負けたと言う事が大きな原因であろうかと思います。敗戦まで国の活動は、一切が国家を中心にしてやってきた。負けるはずがないと言う考え方で、それまでは勝つつもりで一所懸命やっていた。

昭和ニ十年戦争に負けて、それまでの国民生活を形づくっていた考え方が全部壊れてしまった。焼け野原になって、とにかくご飯を食べなければと、ガツガツやってきたのが昭和ニ十年以降の我々の生活です。いい事とか悪い事とか、恥ずかしい事とか恥ずかしくない事とかには、あまり関心がなくなってしまった。損か得かという事が大事になってきた。そうすると、人の見ていないところでは何でもやると言う考え方になる。もう一度基準になる考え方を取り戻すと言うのが我々のやっている仕事ということです。 

それでは昭和ニ十年まで盛んであった考え方を、もう一度取り戻すかと言うとそんな事ではない。あの時の考え方が正しければ日本の国は全部壊れる形にはならなかった。そうすると戦争前の考え方でもなく、昭和ニ十年以降盛んな考え方でもない考え方が必要となります。世の中には色々な考え方があるが、人間の生き方の基本にさかのぼって、どういう生き方をしたら自分自身が満足がいくか、人に迷惑をかけないですむか、会社が大いに発展するか、国家が世界に対して指導的な立場に立つことができるか、そういう問題につながるわけです。我々はどういう時代にも通用し、世界のどこでも通用するような正しい考え方があると確信を持って、道元禅師の正法眼蔵を勉強している


読んでいただきありがとうございます。


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コメント
539:第三の世界 by せっせ せっせ on 2016/03/23 at 03:00:02

例えて言えば、日本の「戦争前の考え方」は「神の存在を主張し、霊魂の肉体に対する優位を説き、物質のみの尊重を戒めた」キリスト教的唯心論の考え方に似て、一方日本の「昭和二十年以降盛んな考え方」は「神の存在を否定し、肉体を離れて霊魂の存在を認めず、物質以外に実在はないと主張した」マルクス主義的唯物論に似ているように思います。
とするとまさに今の時代の日本に必要なのは「仏教 第三の世界観」ですね。

541:Re: 第三の世界 by 幽村芳春 on 2016/03/23 at 15:50:44

せっせせっせさんコメントありがとうございます。

キリスト教的唯心論となると絶対的な悪が存在してそれに対する神の存在を絶対とする考え方であり、戦前の日本の考え方はその様な絶対性ではなく、頭で考えたことは必ず実現できるという観念的なものではなかったかと思います。しかしこの戦前の考え方は正しくなかったことは戦争に負けたことにより証明されました。だから今度は物・物・物の唯物論が戦後の基本的な考え方になったのですが、基本のない生活のため不安な時代になったと言えます。だからこそこの「仏教 第三の世界観」が必要なのだと思います。

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅とは姿勢を正してきちんと坐ることである。 姿勢反射が働いて、交感神経と副交感神経とが同じになり、 考え過ぎからくる不満がなくなり、感じ過ぎからくる不安が消える。 実行力が生まれ、やりたいと思う事が直ぐできるようになり、 やりたくないと思う事はやめることが出来るようになる。 自分自身と宇宙とが一体となり最も幸福な人生を送ることが出来る。

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