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正法眼蔵 山水経 2

「山水経」の巻、本文に入ります。

いま目の前にある自然(山や川)と言うものは、いにしえの真実を得た人々の言葉が現実の姿をあらわしたものである。 自然の山も川も人間も猿も犬も、この世にあるありとあらゆるものがそれぞれの位置に座を占めて、究極の性質というものをそれぞれ発揮している。自然は無限の過去から続いて、いま現に我々の目の前に生きいきと様子をみせているのである。自然は美しく感じると同時に、人類がまだ生まれていなかった昔からずっと続いている「何か」であるという事も感じ取れる。

私と言うものは、この世が全く何もなかった時から続いている自分自身であるから、いま目の前にある色々なものに煩わされないところの自然そのものである。 山が持っている性質は、高峻であり広大なものであるから、雲の上に聳えている山の姿をみる事によって、我々の行いの高さ、生活の高さ、人間としての価値を学ぶのであり、風に逆らわないことから生まれる素晴らしい効用も、山が独自の姿で聳えているところから学ぶのである。



           ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
つまらない農業に、なんていうことが「随聞記」には書いてありますね・・・。

先生
「正法眼蔵」の中では「冶生産業」と言うのが仏道そのものだという考え方がありますよね。これは我々の経済生活ですわな、日常生活、こういうものを一所懸命にやるのが仏道修行だと。同じ様な思想として「運水搬柴」と言う様な言葉も使っておられる。「運水搬柴」と言うのは水を運んだり、あるいは燃料の柴を運んだりということですが、そういう日常生活と言うものが仏道修行そのままだという考え方があるわけです。

だからそういう点では、社会生活と仏道というものとの関係と言うものをじっさい問題として掘り下げる必要はあるわけです。その職業に精魂込めて打ち込むということが仏道修行だということは言えるわけです。だからお寺に引っ込んで暮らしているということだけが仏道修行ではないということにもなるわけです。だからそれは、各人各人、自分に与えられた立場においてどういうものを中心にして仏道修行をしていくかと言う、個々の工夫の問題でもある。

質問
政治家は、悪人だと思われていても、何ら娑婆の罪を受けることなくのうのうとしている。そういう居直った人たちに対しての我々の態度とか、仏道のあり方としてどう考えていくかということなんですが・・・・。

先生
今日の様々の政治家とかその他の動きと言うものに対して、はたで見て簡単に判断するほど単純なものではないということが言える。我々の社会全体が金と言うものを中心にして動いている社会でもあるし、あるいは権力と言うものを中心にして動いている社会でもある。そういう社会現象の中で我々自身が生きていくわけだから、そういうものを一方的に、あれはけしからん、これはけしからんと言う風に決めつけて、そういう立場から善悪、あるいは因果関係と言うものを論じるわけにはいかない。もっと社会の実態と言うものに触れて、なぜ金が必要なのか、あるいはどういう動きをしているのかとか、あるいは権力がどういう動きをしているのかと言う様な事を、実態に即して捉えたうえで問題を考えざるを得ない。

だからそういう点では、もちろん非難されなきゃならん問題もあろうし、直さなきゃならん問題もあろうけれども、今日こういう事態が現に生まれておって、その中に我々も生きていると言う現実、これは否定できない。そうすると、我々自身が現に生きておる根底と言うものにさかのぼって事態をもう一度見直さざるを得ないということになる。だから、そういう見直しをするために仏道があり、坐禅があるのだと。だから事態と言うものを一番深いところに掘り下げて見直さなきゃならんと言う問題があろうかと思いますね。つまり即断できない。ところが割合そういう問題について、まず単純に自分の考え方、立場を決めてしまって、その立場に立てばけしからんとか大変結構だとかと言う判断の仕方があるけれども、仏道と言うのはそう簡単に前提というものを決めるわけにはいかない。まずその前提になるものが正しいかどうかについて検討してみなきゃならんと言うのが仏道の立場、そういう関係だと思いますね。
                  

読んでいただきありがとうございます。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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仏向上事の巻に入りました。 仏(真実を得た人)とは、真実を得た後もさらにその事を意識せず日々向上の努力を続けている生きた人間の事である。そしてこのように真実を得た後も日々向上に努力して行く人のことを仏向上人と言い、その様な努力の事態を仏向上ノ事と言う。道元禅師が諸先輩の言葉を引用しながら説かれます。

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