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正法眼蔵 有時 14

薬山惟厳禅師と馬祖道一禅師の問答について道元禅師の注釈は続きます。

善い(肯定される)とか悪い(肯定されない)とかと言っても、それがすべて我々の人生における時間として行われているに過ぎない。山というものが客観的にあっていつまでも動かないものではなくて、現在の自分の人生における場面としてあればこそ山もある。山も時間においてある。海も時間においてある。時間においてでなければ、山も海も存在するはずがない。一人ひとりが人間として生きていればこそ、海もあり山もある。いま現に山がある、海があると言う事が、時間と無関係だと考えるならばそれは正しくはない。時間がなくなったならば、山も海もなくなる。時間がなくならなければ、山も海も厳然としてある。

この様な時間と関連してのみ一切はあるのであるから、釈尊が六年間の修行を終わらせて真実をつかまれた時、西の空に明星が輝いていたという言い伝えがあるところから、その釈尊が真実をつかまれた瞬間に東の空に輝いていた星も、時間において現実のものとなっているのであるし、釈尊がこの世に現れたのも、やはり時間においてである。釈尊のものの見方と言うものがこの世に現れたのも、やはり時間においてであるし、釈尊と摩詞迦葉尊者との間で手に花を持ってお互いに暗黙のうちに真実というものを了解しあったという場面もやはり時間において行われた。

この世において様々な行いがあり、様々な善悪があるけれども、それらに共通して絶対のものといえば時間というものである。そういう時間が有ればこそこの世の一切がある。



           ―西嶋先生にある人が質問した―
                                   --つづき

それからもう一つの質問の、お弟子さんがこの道元禅師の話を聞いて分かったかと言う事ですが、これはね、ハッキリとお分かりになられた方は非常に少なかったんじゃない かという事はハッキリ言えると思います。 たとえば、道元禅師が亡くなってから百年ぐらい経った後で「正法眼蔵」に関する解説本が出ているわけですけど、その方のお書きになったものでも、果たして分かっておられたのかどうかと言うと疑問なわけ。だから道元禅師の説法に対して、その場でお分かりになった方が非常に少なかったと言う事は言えると思うわけです。 ただそれと同時に、道元禅師が説法はわからなくても意味があるんだと、こう言う事をここで書いておられる。

その事が一つと、道元禅師がなぜ「正法眼蔵」をお書きになったかと言うと、何百年か経ったならば日本の国でもこの本の読める人間が恐らく出て来るだろうという想定でお書きにな ったと言う事はあると思います。 我々は幸いにして西洋の学問を勉強するようになってから「正法眼蔵」が何を言っておられるかと言う事を理論的にもかなり押さえる事が出来るようになってきた。そういう西洋思想のお陰でこの本が読める様になってきたから、今日以降は「正法眼蔵」 と言う本はそう難しい本ではなくなりつつあると、こう言う事も同時に言えると思います。

だからその点で、先ほども出ましたけれども「正法眼蔵」と言うのは今日以降は、一つひとつの言葉をたどって丁寧に読んでいく必要があると言う事、これも同時に言えると思います。 一つ一つの言葉をたどっていかないで、適当に上滑りに進んでしまうと 「正法眼蔵」に書いてない事をとうとうとして述べることは幾らでも出来るんですよ。 そうすると大変ありがたい事をおっしゃっておるわけだけれども「正法眼蔵」とは別の事を滔々として述べておられるという風な危険もあるわけで、そう言う事の危険を避けるためには、一つひとつの言葉を丁寧にやっていかなきゃならんと言う事情がますます増えてきたと言う事があると思います。


読んでいただきありがとうございます。


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534:管理人のみ閲覧できます by on 2016/03/15 at 20:30:42

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幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

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