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正法眼蔵 有時 4

薬山惟儼禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。

この我々が住んでいる世界が自分と切り離してあるという考え方もできると同時に、自分自身があっての世界だという考え方もある。つまり人間が外界を見るから外界があると感じるし、外界の音を聞くから外界の物音があると気がつくということからすると、この世の中があるというのは、自分があって、自分の眼で物を見て、自分の耳でそれを聞くからこの世の中があると言う考え方もできる。その考え方に立つと、様々なものが全部自分から出ているという考え方も出来る。

この世界における個々の人々、個々の事物がいずれも時間と関連して、あの時、この時という形で時間と密着して存在すると言う事を知らなければならない。世界には様々なものがあるけれども、それぞれがそれぞれの本分に従って、きわめて調和のとれた形で一切のものが存在している。それは時間が個々別々にあって、お互いにぶつかり合わないという事と関係している。

この様な関係から、たくさんの人々が同じ時点において「よし、釈尊の教えを勉強してみよう」という気持ちを起こすことがあり得るし、人々が一斉に同じ様な気持ちを起こす時間もある。仏道を実践するとか、真実に到達するとかと言う事も、やはりそれぞれの時間において行われるという事に他ならない。そういう点からすると、この世界といってみても、自分自身が出発点で自分自身の反映として、この世界と言うものを自分が眺めているという関係ということもできる。

自分があって、自分が一所懸命人生を生きていると考えるけれども、結局何かと言えば、今何をしているか、今何をしているかと言う時間の連続でしかないということもできるとすれば、自分の人生は何かと言えば、自分と言う実態があるのではなくて、いま、いま、いまと言う時間がただ続いているだけだというふうにも理解できる。



           ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
先生は政治の世界とか、総理大臣になるような人の人格を尊敬されますか。

先生
まあ、総理大臣になる人は確かに偉いと思いますね。なんていうか人間的な力量と言いますか、それととにかく力がなきゃなれないわけだから。それで力があるという自信のある人たちが何人も寄り集まって一所懸命争っているわけですから、これは容易なこっちゃないですよ。ま、それだけ政治の世界と言うのは面白いんでね。

それと、ああいう争いが行われているから我々は安心して生きていられるんでね。ああいう争いがなければ、あっちでも争い、こっちでも争いで、なかなか国全体がうまくいかない。大もとで喧嘩をしていてくれるから、そこで決まった勢力関係だというんで、みんな大人しくついていくわけですから(笑)。そういう点では意味のあることだという風に見ていいと思いますね。

だから各人が持ち場、持ち場で自分の仕事を一所懸命ということに結局はなると思いますね。
     ※質問は昭和60年当時の政界についてです。


読んでいただきありがとうございます。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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仏向上事の巻に入りました。 仏(真実を得た人)とは、真実を得た後もさらにその事を意識せず日々向上の努力を続けている生きた人間の事である。そしてこのように真実を得た後も日々向上に努力して行く人のことを仏向上人と言い、その様な努力の事態を仏向上ノ事と言う。道元禅師が諸先輩の言葉を引用しながら説かれます。

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