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正法眼蔵 諸悪莫作 17

道元禅師の説示は続きます。

しかしながら、仮にもたくさんの善のうちのたった一つの善というものが現実に行われるならば、それは、宇宙全体が善を行う事であり、自分の体全体で善を行うことであり、現実の世界が善を行う事に他ならない。この善に関連した原因・結果と言うものも、やはり同じ様に実際に行う事により生まれて来るところの現実の実在である。原因・結果の関係は原因が先で、結果が後に出て来ると言う継続的な関係ではないけれども、原因も原因だけで辻褄があっているし、結果も結果だけで辻褄があっている。原因も独立独歩で結果も独立独歩で、それぞれが堂々とした地歩を占めている。

原因もまたその安定した状態におり、同時にこの実在の世界全体も安定した姿を呈し、結果が安定した状態を示していると同時に、この我々の住んでいる法の世界もまた安定した姿を呈していると言うのが実情である。原因があって結果が出ると言う事が普通の状態であるけれども、それは原因が前にあって結果が後から出てくると言う関係ではない。なぜかというと、過去の時間は過去の時間として安定しており、その後の時間もその後の時間として安定しているからである。

その事は、前の時間も独立独歩、後の時間も独立独歩と言う事が現実であり、その様な時間において行動が行われ、行いがあると言う事に他ならないから、原因・結果の関係についても、必ずしも時間の前後は論じられない。

※西嶋先生解説
この様に衆善奉行ということについても、前回の諸悪莫作と同じように、人間の行動によって初めて善悪は生まれて来る。我々はそういう世界に住んでおる。だから善をやるのも自由自在、悪をやるのも自由自在ということになる。自分自身で何をやるかということで、我々の人生の全てが決まるということになれば、人生をよくするのも悪くするのも、粗末にするのも立派にするのも自分自身ということにならざるを得ない。

それが初めから決まっておると言う様な事ではなしに、自分がいま何をやるか、いま何をやるかということで決まってくるということになれば、この人生と言うものは非常に内容の豊富なものになり得るし、自分自身が枠をはめて窮屈なものにしてしまえば、非常に窮屈なものになる。自分自身があきらめて粗末なものにすれば、非常に粗末なものにもなる。自分が非常に努力をして営々として築き上げれば、非常に立派な人生にもなり得るということが説かれている。

だからそういう点では決して心配することもないと。ただ諸悪莫作(諸々の悪事をやらない)、衆善奉行(諸々の善行をする)ということが人生の本来の姿である。そういうことを主張されておる。


読んでいただきありがとうございます。


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幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅とは姿勢を正してきちんと坐ることである。 姿勢反射が働いて、交感神経と副交感神経とが同じになり、 考え過ぎからくる不満がなくなり、感じ過ぎからくる不安が消える。 実行力が生まれ、やりたいと思う事が直ぐできるようになり、 やりたくないと思う事はやめることが出来るようになる。 自分自身と宇宙とが一体となり最も幸福な人生を送ることが出来る。

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