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正法眼蔵 諸悪莫作 7

道元禅師の説示は続きます。

物質を基礎に我々の日常生活が着々と行われていく事から生まれてくる力が、日常生活をより善い方向に持っていってくれる。山、河、大地、太陽、月、星と言うふうな自然の環境を舞台にして、我々が日常生活をし、そして善悪の実践を行っていくのであるが、その事は我々が住んでいる世界の環境である山、河、大地、太陽、月、星等が、我々自身に修行をさせる、我々自身に実践をさせる、我々自身に善悪を誤りのないように行わせてくれる。

それは一定の時点における見方だけの問題ではない。さまざまの時点において、常に活き活きとした見方が我々を助けてくれるのである。日常生活における瞬間瞬間が、我々に活き活きとした眼を与えてくれることが実情であるから、そういう瞬間瞬間が真実を得た人々を実際に修行させ、実践させ、教えを聞かせ、その成果を得させると言う事になるのである。そしてこのような仏道の世界においては、真実を得られた方は今日まで、その教え、その行い、その体験というものを純粋に具体的に実現しておられるのであるから、抽象的な教え、行い、体験というものが真実を得られた人々の邪魔をし汚れになるという事もない。

このような形で 我々の日常生活は瞬間瞬間に行われていくものであるから、過去・現在・未来における様々の行動に関連して、行動の行われる直前、行動の行われる直後に、実際の行動の世界というものは逃げようとしても逃げようがない。真実を得られた方々はどんな場面においても逃げ回ることなしに、一所懸命に実践してこられた。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問 
英訳される場合は「善悪」をどういうふうに・・・。

先生
う-ん、その時その時によって・・・。一つの言葉で表現できないかもしれないですね。evilと言う言葉とwrongということと両方使い分けなきゃならんのじゃないかと言う風に考えてますがね。

質問
「善」は?

先生
「善」については、right というふうな言葉を使う場合もあれば、goodnessと言う風な言葉を使う場合もある。

質問
その辺でそういう意味が分かると思います。

先生 
ええ、そうです。だからそういう点では、言葉と言うものは非常に不便なものですからね。それをどう説明するかということは、これは中々具体的な問題としては難しい問題があると思いますがね。

質問 
それから「随所に従う」と言うのはself-controlでいいんですか。

先生
講義で私がself-control と言う言葉を使いましたら、向こうの人がself-regulationと言う言葉を使いましたね。どうも controlと言う言葉よりregulateと言う方が、向こうの人にはぴったりくるようなところがある様です。

質問
どうもありがとうございました。


読んでいただきありがとうございます。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

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