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正法眼蔵 諸悪莫作 1

「諸悪莫作」の巻、本文に入る前に西嶋先生の話です。

「諸悪莫作」と言うのは、いろいろな悪をやってはならない、あるいはやらないということで、仏教には昔から「七仏」の通戒として知られている諸悪莫作・衆善奉行・自浄其意・是諸仏教と言う有名な偈(詩)が伝わっておるわけであります。「七仏」と言うのは、釈尊以前に六人の仏がいたという信仰を基礎にして、釈尊も合わせて非常に古い時代からおられた仏(真実を得られた人)と言う信仰があるわけです。

そのことはどういうことかと言うと、釈尊の説かれた教えと言うのは、釈尊が説かれたところではあるけれども、その考え方と言うものは非常に古い時代からすでにあったという事が信仰の基礎になっておるわけであります。釈尊の説かれたのは、単に釈尊が生きておられた時代に始まった事ではなくて、その考え方、その原理と言うものは、ほとんど無限と言ってもいいくらい古い時代からすでに現存しておった。そしてまた無限と言ってもいいくらい今後も続くものだという信仰があって、その一つの現れが七仏ということになろうかと思います。

普通宗教と言うと、善悪と言うものに関係があると理解されていると同時に、善悪を超越するものだという考え方が同時にあるわけであります。キリスト教の信仰などによると、人間は行いによって義(正しい)とされるのではなくて、信仰によって義(正しい)とされるという考え方があるわけです。そうすると宗教と言うのは善悪を問題にするけれども、さらにその善悪を乗り越えて、超越してしまうものだという考え方が一般に行われているわけです。それから仏教の中でも仏教の流れの中で、大乗仏教と小乗仏教と言う区分があって、その大乗仏教と小乗仏教と言う区分の仕方からすると、釈尊が亡くなってから一、二百年たって生まれた思想と言うものは、小乗仏教ということで善悪の問題をやかましく言う、戒律を守るということをやかましく言う。しかしながらそのあとで起きた大乗仏教と言うのは、戒律をあまり問題にしない。善悪をあまり問題にしないという風な理解があって、善悪を問題にするのは小乗仏教、善悪をあんまり問題にしない大乗仏教の方が哲学的に優れておるという考え方と言うものもある。
                       つづく--


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

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