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正法眼蔵 谿声山色 22

道元禅師の説示は続きます。

そこで竜牙居遁禅師が言われた「過去において、仏道の真実と言うものがわからなかったならば、さあ今わかってしまおう。この現世において今の生身の体で、過去の積もり積もった様々の災いを全て超越してしまおう。過去の仏(真実を得られた方々)も、真実を得られるまでは今の我々と少しも変わらなかった。もし真実を得てしまえば、今の我々も昔の仏になった人々と少しも変わらない。

この竜牙居遁禅師が言われた言葉の意味を静かに考えてみるべきである。これこそまさに仏の境地を体験する事である。頭の中で考えているのではなく体全体で味わう事である。この様な考え方で仏の前で自分の非を告白して見るがよい。そうするならば、この様な懺悔をする事によって仏教界の諸先輩による神秘的な救いというものが我々に与えられるのである。心と体で懺悔を現し、自分の一切をさらけ出すということが罪の根源を消してしまう。これが、頭の先から足の爪先に至るまでの徹底した正しい修行のあり方であり、仏を信じるあり方であり、仏を信じた体のあり方である。

このように、真正面から修行に打ち込んでいる時においては、山の姿、谷の響きいずれも無数の詩を奏でて自然の美しさを歌い、自然がいかに素晴らしいかを我々に教えてくれる。そしてその事が、我々の仏道修行を励まして益々仏道の究極に近ずいていく力となる。自分自身が名誉や利得に煩わされたり心と体を惜しまないならば、山の姿、谷の響きいずれもまさに言葉では表現する事の出来ない何かを惜しまず我々に与えてくれる。

この様に自然は、ある人にはたくさんの詩として一晩中聞こえ、ある人には一晩中何も聞こえない。谷川の水は音をたてて山の姿は歴然として聳えていることが現実である。この自然をそのまま素直に自然として取り上げ、これを人に示すだけの十分な力が具わっていないならば、誰が釈尊の真実を得た人と見てくれることがあろうか。聞いてくれる事があろうか。自然の美しさや自然の素晴らしさを理解出来るような人が仏(真実を得た人)である。

              「正法眼蔵谿声山色」
              1240年 夏安居
              観音導利興聖宝林寺にて衆僧に説示した。




           ―西嶋先生の話―
             
日常生活をしている場合でも、頭の中で考えた判断と直観的に生まれてきた判断とのどちらが頼りになるかと言うと、直観的な判断の方が頼りになるんです。 もちろん直観的判断にも色々ありますから、一杯飲んでいる時に「ああ、わかった」と言うのは当てにならない。 心身が正しい状態の中で生まれた直観は実に大切なんです。 人に対する判断をする場合でも、あるいは経済情勢がどう動いて行くかという問題についても、もちろん学問的に勉強してだいたいの方向がわかると言う捉え方もある。

それと同時に、日常生活 の様々な事象を見ながら「世間ではこう言っているがちょっと違うのではないか」と言う判断があるわけです。 つまり、新聞では景気がよくなる、景気がよくなると書いてあっても、「ちょっとその判断はおかしいのではないか」と言う事を直観的に感じ取るという事はあり得るわけです。 逆の場合もあるわけです。 不景気になる、不景気になると新聞には書いてあるけれども、「いや待てよ、世間の様子を見ていると、どうもそうではなさそうだ」と言う感じもあり得るわけです。

そういう点では、判断の基礎として直観が非常に尊いと言うのは仏教の一つの主張です。 その直観を「般若」と言う。 仏教で般若(智慧)と言う言葉がありますが、智慧とは頭がいいとか悪いとかではなく直観的な判断力があるかないかという事なんです。 こういう直観的な判断が人生を生きていく上においても非常に大切です。 我々はなぜ坐禅をするかと言うと、そういう直観を得るためにやっている。 だから、坐禅をやって頭がよくなると言う事よりも、直観力が優れた状態になるのが坐禅の一つのねらいです。


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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