トップページ | 全エントリー一覧 | RSS購読

正法眼蔵 谿声山色 21

道元禅師の説示は続きます。

修行に対して、いくら自分自身を励ましても、体がだるい、気持ちもたるんでどうにも動きが取れない、そういう場合には真心を専一にして、過去の真実を得られた方々(釈尊・達磨大師など)に対して「自分はどうも怠け癖が抜けません、自分は仏教に対して不信の気持ちが生じました」と言う非を正直に告白すべきである。この様にする時は、告白した効果によって自分自身がそこでもう一度清浄な状態に立ち返る事が出来る。

この様に非を素直に告白したその力によって、今度は何物にも妨げられる事がない浄い信仰や努力を生み、自分を成長させてくれる原因となるのである。そして混じりけのない信仰がひとたび発現すことによって、自分自身も信仰に入っていけるし、自分の環境もそうした方向に動いていく。そしてその良い影響というものが、周囲の生物(人間・動物等)や無生物(鉱物・植物)にまで良い影響を与える。

懺悔に関する趣旨は大体次の様である。「願わくば、私の過去の悪行が多く重なって仏道に進む障害になる原因になったとしても、釈尊の教えに従ってすでに真実を得た沢山の諸先輩方が、私を哀れと思って、過去の煩いから脱け出すことを助けてくださり、仏道を学ぶ事について一切の障害をなくしてくださり、この効果が宇宙世界(天地一杯)に充満して行き亘るように、どうか憐れみをこの私にお分けくだい」と。

釈尊にしても達磨大師にしても真実を得られたとは言ってみても、その最初は我々と同じであった。我々といえども将来は必ず仏になるであろう。釈尊の昔を見てみても、釈尊が何らかの機縁で自分の国から離れて、仏道修行の生活に入られたということも、たった一人の青年が真実を得たいという気持ちを起こしたという具体的な事実以外にない。誰であろうとも、発心をして仏道を勉強しようと言う気持ちをおこせば、そのまま仏の生活に入れる。この様に仏というものが慈悲の心をあらゆる場面において分け与えておられるのであるから、我々としては常に仏道修行の便宜を与えられるのであり、仏道修行における極めて恵まれた環境に誰でもがいて、そこから逃げようとしても逃げられない。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
道元禅師は祈りとか、懺悔とか、そういうことをあまりなさらないような印象を受けますが、そういうことはないんですか。

先生
全然やらないということではないですね。ただあまり重視はされておらなかった。特に師匠の天童如浄禅師が「焼香・礼拝・念仏・修懺・看経を用いず」と言われた。焼香と言うのは香をたく事、礼拝と言うのは五体投地の礼をすること、念仏は今日でも念仏と言われている。修懺と言うのはここに書いてある懺悔をすること、看経と言うのはお経を読む事、そういうことはあまり必要ないと言われておる。そんなことをやるよりも坐禅をやることが仏道修行の根幹だということを言われておる。だから必ずしも懺悔とか焼香とかということを重視されておるということではない。しかしそういうものは全然要らんというふうな考え方でもない。懺悔と言うのは釈尊の時代の仏教に関しても経典に残っておるわけです。だからそういう点では、こういうところでもそういうものが出てきておると、そういうことになるわけですね。


読んでいただきありがとうございます。


関連記事
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント
509:坐禅体験の心理的側面 by 正田寿男 on 2016/02/08 at 01:39:46

西嶋先生の「人も企業もバランスが命」を読み始めて第5章の「坐禅をすればもっと楽に生きられる」に来ました。
<坐禅体験の心理的側面>として4つあげられていて、これがなんとなく習慣になった坐禅をスポーツのような感覚でしていた私には衝撃でした。
また明日から気持ちの入れようが変わりそうです。
①釈尊と同じ体験をする
坐禅を通して釈尊と自分が出会うことであり、釈尊と一体になること。
②自分自身をつかむ
坐禅の最中に意識するのは、広い宇宙の真っ只中に黙々と座り続けている自分自身である。
「自己とは何か」は、坐禅によって宇宙の秩序の中に安座し、心と身体を通して直接に感得される。
③平凡な心境こそ真理である
坐禅とは、自分が自分自身に回帰する行為であり、特異な心境に入ることではない。
④宇宙の秩序に没入する行為
坐禅とは「座ること」に没入することであり、"宇宙の一切は言葉で表現できるものではない"ことを、自分の心と身体で実感することに他ならない。それは、大宇宙を支配する秩序(法)に没入し、宇宙に遍満するリズムに我が身の波長を合わせる行為である。

510:Re: 坐禅体験の心理的側面 by 幽村芳春 on 2016/02/08 at 11:04:04

正田さん、コメントありがとうございます。

坐禅の体験内容について心理的側面と生理的側面から先生は解説されます。先生は「坐禅は誰にでも出来る一番簡単なスポ-ツ」とよく言っておられました。正田さんが坐禅をスポーツのような感覚でしていたと言われますがその通りだと思います。次に生理的側面からの説明もに出てくると思います。心と体とは一つのもの(心身一如)を坐禅をしていると理屈ではなくわかりますよね。

お勧めの書籍です。「仏教第三の世界観」西嶋和夫 金沢文庫
先生はこの本を出版した時「これで世の中は変わる」と思ったそうです。

520:仏教第三の世界観 by 阿佐谷北 on 2016/02/20 at 20:03:11 (コメント編集)

横から失礼します。
古書ですが、見つけました。まだ十分には読んでいませんが、”第三の世界観” という主張はよく分かります。そのことで悩んでいた時期が自分にも有りました。もしよろしければ、書評もしくは、お弟子さんならではの読み方など教えていただければありがたいです。

523:Re: 仏教第三の世界観 by 幽村芳春 on 2016/02/21 at 15:45:59

阿佐谷北さんコメントありがとうございます。

私はこの第三の世界観を読んで、正法眼蔵がわかりやすくなりました。そして今でも機会があればところどころ拾い読みをしていますが、いつまでたっても読み飽きません。

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事していた愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

最近の記事

リンク

カテゴリ

最近のコメント

フリーエリア

坐禅とは姿勢を正してきちんと坐ることである。 姿勢反射が働いて、交感神経と副交感神経とが同じになり、 考え過ぎからくる不満がなくなり、感じ過ぎからくる不安が消える。 実行力が生まれ、やりたいと思う事が直ぐできるようになり、 やりたくないと思う事はやめることが出来るようになる。 自分自身と宇宙とが一体となり最も幸福な人生を送ることが出来る。

FC2カウンタ-