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正法眼蔵 谿声山色 11

道元禅師が説示されます。

銘記せよ。「谿声山色」とは山の姿、谷の響きということで自然ということである。その様な山の姿、谷の響きと言う自然を舞台にするのでなければ「拈華微笑」と言うような釈尊と迦葉尊者との間に行われた宇宙の秩序に関する高度なやり取りも行われなかったであろう。また、山の姿、谷の響きと言う自然を舞台にするのでなければ「依位悟髄」と言うような達磨大師と慧可大師との間で行われた判定も起こりえなかったであろう。山の姿、谷の響きと言う自然の性質を基礎に、釈尊が「大地有情同時成道」と言われた。釈尊と同じ様な体験をされた多くの真実を得られた方々も、またいずれも自然というものを舞台にして真実を得られたのである。

※西嶋先生解説 
拈華微笑。釈尊がある時、優曇華の花を持たれて、それを回しながら説法を聞いている沢山の人々に示した。沢山の人々は、釈尊が花を持って回しているのがどういう意味かよく解らなかった。ところが迦葉尊者だけがその釈尊の花を持っておられる意図が何であるかを察知してニッコリと微笑された。    

依位悟髄。達磨大師が、四人の弟子達にそれぞれ修行の結果得た境地を言わせ、一人一人に対して「髄を得たり」と言われた。その時、慧可大師はどのような返事をされたかと言うと、達磨大師の質問に対して何の返事もせず、達磨大師を礼拝し自分の席に戻り又手をして黙って立っていた。それに対して達磨大師は「我が髄を得たり」と言う言葉を発せられた。

大地有情同時成道。釈尊が修行生活六年目のある朝に坐禅をしていた。その時、明けの明星が東の空に輝いていた。その明けの明星の輝きを見た時に悟りを開かれたと伝えられている。その真実を得られた時の心境を「大地有情同時成道」と言われた。今まで自分は修行だ苦行だと言って一所懸命苦労してきたけれども、とにかくこの世の中は素晴らしいという事に気がついた。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
道元禅師のお気持ちとしては、最後の遺言にもある通り、お寺なんか欲しがらなかったのが本当なんでしょうね。

先生
うん、まあただの修行の道場として、やっぱり寺と言うものを中心にして努力されたということは言えると思うんですよね。ただ、それは仏道を広めるためということであって、人から尊敬されてお布施をもらうということはあまり関心がなかったわけです。それは食っていけなきゃ困りますからね、食っていける程度のものがあれば、あとはどっちでもいいという考え方だったと思いますね。

質問
金や権力は欲しくないと。

先生
それは我々だって坐禅をしておって、静かな気持ちになっておれば、金や権力なんかどうでもいいという気持ちになりますよ。静かにして、ジ-ッとして、こんな平和な心境はないと思ってジ-ッと坐っておればね。

質問
お腹もすくだろうしね。

先生
そういう静かな境地から、娑婆世界を見直すとよく見えるわけ。ああ、あいつは金欲しがってるとか、あいつは権力を欲しがっているとか、よく見える。で、よく見えるということのためには、そういう欲に巻き込まれちゃだめだというのが道元禅師の教えですよ。だからそういう点で、名利に近づくなと言われたのは、そういうものに欲を出して、本当のものが見えなくなると、本末顚倒だということを言われたわけでね。


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

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