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正法眼蔵 谿声山色 6

香厳智閑禅師がある日、道路掃除をしていた時に小石がはねて竹に当たり「コツン」と音を立てた。その時に真実を得たと言う話が今日のところの題材になります。

香厳智閑禅師がかつて大潙大円禅師の教団で仏道を学んでいた時、大潙大円禅師が言われた。「お前は頭もいいし、理解の範囲も広い、書物の文句や註釈の中から記憶している言葉を持ってくるのではなしに、父母未生以前((永遠の境地における状態)の時点において、私のために何か一つの言葉を言ってみてくれ」と。香厳智閑禅師はせっかく師匠からそういう希望がだされたので一所懸命何か言おうとして、何回も試みたが何も言うことが出来なかった。

そこで香厳智閑禅師は深く自分の体も心も未熟なのを残念に思い、長年たくわえて来たところの書物を開いて一所懸命一つの言葉を見つけたけれども、なお茫然としてどういう言葉で師匠に返事をしたらいいのかさっぱりわからなかった。そこで、香厳智閑禅師は長年たくわえて来た書物を焼いて言うことには、「画にかいた餅(文字で表されたいろんな考え方)は、飢えを満たすことが出来ない。自分は誓う。釈尊の説かれた教えを把握することを断念しよう。そして僧侶の給仕をする仕事を一生やっていこう」と。

この様に香厳智閑禅師は、僧侶のための給仕役をしながら生活し長い年月を経たある時、大潙大円禅師に申しあげて言うには「自分は頭もよくないし才能もないので、師匠からせっかく何か言えと言われたけれども一句をどうしてもいうことが出来ません。どうか師匠から、私のために一句をお聞かせ願います」と。大潙大円禅師は言われた。「私はお前のために一句言ってやることは構わない。しかし、もし私が代わってお前のために言ったならば、おそらく後になってお前は私を恨むだろう」と。
                            つづく--



          ―西嶋先生の話―

欧米の思想では、人間の体の状態がどうであろうとも、人間の考える事は正しいと言う主張があるわけです。これは数学の様な問題についてはまさににそのとおりです。酒に酔っていてもそうひどく酔っていなければ、1+1=2で通用すると思います。ただそれと同時に、自律神経がバランスしている状態とバランスしていない状態では価値の判断について結論が違うと言う問題があります。交感神経が非常に強くなっていて、世の中を批判的に見るという立場に立って生きている場合には、何を見ても批判が起きて腹が立つのです。

そう言う考え方が正しいかと言うと、その人はそう思っているかもしれないが、世間一般に通用するかと言うと必ずしもそうとは言えない。この世の中に不満を持って「あれもけしからん、これもけしからん」と言って、朝から晩まで腹を立てている方は意外にいるんじゃないかと思われます。その人達は、自分自身では私は正義感が強いと思っている。ただそういう正義感が社会全般に適用する正しい判断かと言うとこれは疑問です。

釈尊はその事に気ずかれた。だから人間のモノの判断も、自律神経がバランスしていないと正しいとは言えないと主張されたわけです。これが、仏教哲学では非常に重要な特徴であります。このモノの考え方は欧米思想の中では見つけにくい。欧米思想では、体と心とは別ものだという考え方が普通です。たとえ体の状態がどんな状態であろうとも、人間の理性は絶対だ、普遍妥当だと言う考え方を探る事が欧米の哲学思想の一つの基本であります。そこに欧米思想と仏教思想との違いがある。

その点では、どちらが正しいかと言う事ではなしに、欧米思想の到達し得なかった領域に仏教思想は踏み込んでいると言う事になります。したって、今後欧米思想がさらに進歩発展を遂げるとするならば、仏教思想がとりあげている様な領域に入りこんでいかざるを得ないと言う事が、現在の欧米の文化の実情だと思います。


読んでいただきありがとうございます。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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仏向上事の巻に入りました。 仏(真実を得た人)とは、真実を得た後もさらにその事を意識せず日々向上の努力を続けている生きた人間の事である。そしてこのように真実を得た後も日々向上に努力して行く人のことを仏向上人と言い、その様な努力の事態を仏向上ノ事と言う。道元禅師が諸先輩の言葉を引用しながら説かれます。

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