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正法眼蔵 谿声山色 1

「谿声山色」の巻、本文に入る前に西嶋先生の話です。

「谿声山色」と言うのは、「谿声」と言うのは谷の水音ということ、それから「山色」と言うのは山の姿ということで、「谿声山色」の巻でどういう事を言っておるかと言うと、自然と言うものが釈尊の教えを自然のうちの教えてくれているということを説かれた巻。

我々は都会の中にいると中々自然に触れる機会が少ない。アスファルトの道を歩いて、コンクリ-トの建物を眺めて、電線を眺めてということだと、中々自然の中に自分の身を置くという機会が少ない。ところがたまたま郊外に出てみるとか、旅行で地方に行ってみると、緑の木が生い茂って、草が生えて、山が青い色をして姿を現し、空が澄んで雲が流れておると言う様な事で、自然と言うものに触れると、「ああ、自分たちの住んでいる世界と言うのはこういう素晴らしい世界か」ということを、そこで初めて気がつく場合が多い。

そういう自然がどういうことを語り、どういう事を教えてくれるかと言うのが、この「谿声山色」の巻。我々は都会生活では中々自然と言うものに触れることが出来ないけれども、たまたま建物の屋上か何かに上がって空を見上げると、自然と言うものに触れることがよくある。青い空があって、雲が流れておる。東京の上にもこんな青い空があったんだなあということを、空を眺めてヒョッと気がつくという場合がある。そういうことで我々に与えられるところの自然と言うものが、実は釈尊の説かれた真実そのものを我々自身に教えてくれるというのが、この「谿声山色」の巻に説かれている内容。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
坐禅をしますと、頭を冷やすと言う端的な表現がよくわかりますよね。 白黒はっきりなんていう気持ちがなくなってしまうし、気持もリラックスしてくるから、狭い一方的な見方と言うものから解放されると言う具体的な体験もありますし、そんなに難しい事ではないような感じがするんです、いまは。

先生
ええ、そういう事ですよ。 だから私は、空気の入ったゴムボ-ルが水の上に浮かんでいるようなもんだと言う実感を持つ事があります。 つまりふわっとトボ-ルが浮いているだけの事で、それをどういじる必要もないんで、ボ-ルをそのままそっと浮かしておけば、それが我々の人生であり、非常に平和で何の波乱もない人生があり得るんだという事を、坐禅と言う単純な修行で実感すると言う事が仏道修行であると見る事が出来ると思います。 だから決して難しい事ではないという事が言える訳です。

ですから、中国の三代目の仏教教団の指導者、鑑智僧璨大師と言う方が「信心銘」と言う本の中で、真実に到達する事は難しくない、好き嫌いさえ無くなれば真実はすぐ出て来ると言っておられる。 非常に短い簡単な言葉でありますけれども、我々の人生の真実を言い得ていると感じるわけです。 大抵の悩みは我々の好き嫌いから生まれて来る。 「あ、あの人とまた会いそうだから横道にそれよう」と言うような苦心ばかりしていると苦しくてしょうがない。 誰が来ても「こんにちは」と言えるようになると、この世の中は非常に楽しくなるとそういう事でもあろうかと思うわけです。


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コメント
497:信心銘 by 正田寿男 on 2016/01/14 at 01:16:22

好き嫌いをなくせば真実はすぐ出てくる。
誰にあっても「こんにちは」。
今日から実行します。
山歩きはもともと大好きで、今は愛犬の「かお」と一緒に歩いてます。
なので、「谿声山色」楽しみです。

498:Re: 信心銘 by 幽村芳春 on 2016/01/14 at 11:03:01

正田さん、コメントありがとうございます。

「谿声山色」の巻は、仏道の立場から見た自然観を述べています。楽しみにしていてくださいね。

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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