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正法眼蔵 礼拝得髄 19

道元禅師の説示は続きます。

徳山禅師は男子の僧侶であった。その徳山禅師は抽象的に文字の上だけで釈尊の教えを勉強していたために、釈尊の説かれた教えの意味を夢の中においてさえ承知していなかったということは非常に気の毒な話である。総じて何らかの自分以外の対象と出会ったならば、一所懸命それが何であるかを自分の体を使って解明する習慣を養うべきである。何か対象にぶつかった場合に、安全第一で逃げ回っているようでは、文字の上で、あるいは感覚的に釈尊の教えを知ろうとする人々の勉強の仕方に他ならない。

東を怖がって、西に逃げて行ったとしても、西にも怖いものは沢山いる。やっと危険物から逃げてきたから、これで自分は安全だと考えてるけれども、相手が何であるかと言う事をハッキリさせなければ、遠くの方にあっても障害物は障害物であるし、対象は対象である。対象から逃げ回っていたのでは、真実は何もわかりはしない。悩みからどうしようと逃れられるはずがない。一所懸命逃げれば逃げるほど悩みはますます深くなるであろう。

※西嶋先生解説
これは人生の真実だ。我々はいろんな嫌なこともたくさんある。しかし、それから逃げを打っていたら決して問題の解決にはならない。苦しいことも真正面からぶつかって、一体それが何であるかということを勉強することによって初めて解決の方策が見つかり、自身の人生は開けるということがある。ここでは女性の事に関連してそういうことを言われたんだけれども、単に女性、男女の問題だけではなしに、一切の問題について何らかの対象が現れたら、それを勉強してみろと。逃げてばかりいたんでは問題の解決にならないと言われておるわけ。

ここのところは道元禅師の女性の問題、あるいは人生問題に対する態度が非常にはっきり出ておるところ。仏教徒の書いた女性観でも、このくらいはっきりと男女の平等を説いておる巻と言うのは他には見当たらない。全く差別がない。我々、昭和二十年以前は、これほどの男女平等観は持っていなかった。男の方が少しえらいと思っていた。兵隊に行くだけでもまだましだと思っていた。(笑)

しかし、七、八百年も前の道元禅師は、その時代にすでに男女はまったく価値が変わらないということをはっきり書き残しておられる。仏教の思想家と言うのは道元禅師以外にもたくさんおられるけれども、これほど男女間の平等ということを説かれた方と言うのはまずいないということもいえようかと思う。
         

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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
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師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

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