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正法眼蔵 礼拝得髄 15

道元禅師の説示は続きます。

髪の毛を剃り落として僧侶の姿になっていながら、釈尊の説かれた正しい宇宙の秩序を破る人々は、ただ社会生活を送っていくためにこの様な行動をする。まして無上菩提(最高の真理)のために、どうしてすでに仏道の真実を得た女性を尊敬しないことがあろうか。これは釈尊の説かれた宇宙秩序を尊重する志が浅く、宇宙秩序を求める志が全身に行き渡っていないためである。仮に財宝を強く欲しがる場合には、「女性の持っている財宝だから自分のものにするわけにはいかない」とは思わないであろう。

まして、釈尊の説かれた宇宙秩序の教えを求める場合は、この財宝を求める気持ちよりも勝ってしかるべきである。そして、もし宇宙秩序を求める志が財宝を貪る気持ちより勝っているならば、草や木、垣根等、眼の前にある事物も、釈尊の説かれた正しい宇宙秩序を我々に伝え、この世の一切のものが釈尊の説かれた正しい宇宙秩序を我々に与えてくれるのである。この様な事は誰でも知っていなければならない基礎理論である。仮に本当の高徳の僧侶に出会った場合でも、まだこのような激しい志を立てて、釈尊の説かれた宇宙秩序を求めると言う姿勢がないならば、宇宙秩序の恩沢を受ける事が出来ないのである。その点は十分に考えてみなければならない。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
我々の進むべき道は中道であると。その両極端に、たとえばプラスがあり、マイナスがある。真ん中がゼロと言うわけです。交感神経、副交感神経、それは両極端を並べてありますね。一方には生があります、また他方には死がありますね、その中道ということになりますと、生きているともつかず、死んでいるともつかんと、こういう格好になりますね。それでいいんですか。

先生
そのことは、交感神経と副交感神経、この具体的な問題を考えてみますと、副交感神経と言うのは生きる方、別の言葉でいえば愛情を支配しているわけですね。それから交感神経の方は、死とか、攻撃とか、そういうことを司ってるわけですよ。だから我々の生き死にと言うものも、結局、生命が活躍している部分と、絶えずそれが消滅していっている部分と両方あるわけです。だから、我々の生命、生きておるということ自体が、生きることと死ぬこととのバランスの上に成り立っておる。

それをまた別の言葉でいえば、憎しみと愛情のバランスで出来上がっている。だから我々の愛情問題にしても、愛情だけで事は片づかんと言うこと。愛情を抑えるものと両方あって、人間の心はバランスしているんだと。だからそういう風な事も関係あるわけですよ。だからそういう点からすると、生と死との両方のバランスの上に我々の日常生活が成り立っているんだと、そういう風に見ていいと思います。

質問
それが坐禅であると。

先生
うん、そのバランスをしっかりした状態に置くものが坐禅だと。


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コメント
490:今年も1年ありがとうございました by おおはな on 2015/12/29 at 19:44:02 (コメント編集)

今年も1年ありがとうございました。
毎日朝、晩短い時間でも坐禅をして
1年の終わりを迎えようとしています。
また来年も同じように毎日過ごして
いければと思っています。
応援しています。来年もよろしく
お願いします。

491:Re: 今年も1年ありがとうございました by 幽村芳春 on 2015/12/30 at 16:29:49

おおはなさん、コメントありがとうございます。

正法眼蔵は全巻が終わり、二巡目になりますが、いつも読んで頂きありがとうございます。
私は坐禅をして「正法眼蔵」を読むようになってからは、他の本は読んでみたいと思わなくなりました。
よく「正法眼蔵」は難しいといわれますが、私はこんなに親切で解かり易い本はないと思っています。道元禅師が「只管打坐」と言われるように、坐禅をして読んでいくと道元禅師の言われることがよくわかります。

ある先輩が私に言いました。「正法眼蔵がわかるなんて、わかったつもりになっているだけじゃない」と。その先輩は「正法眼蔵」だけを長いこと読まれているようですが坐禅はしないそうです。「毎日、朝、晩、短い時間でも坐禅をする習慣さえつけば、釈尊の弟子で立派な仏教徒です」と、西嶋先生はよく言われました。
お互いこれからも、毎日坐禅をして穏やかに過ごせればいいですね。

二巡目は始まったばかりです。まだまだ続きますのでこれからも応援してくださいね。。

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

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