トップページ | 全エントリー一覧 | RSS購読

正法眼蔵 礼拝得髄 11

女性の僧侶に関連して、道元禅師の説示は続きます。

男子の僧侶で年を取っていたり、経歴が長かったりする人であっても、釈尊の説かれた宇宙の秩序と言うものをしっかり身につけていないならば、何の役にたとうか。寺院の主人というものは、必ず見方がはっきりとして、正しいものをつかんでいるかどうかと言う事を基準にして選ぶべきである。しかしながら、俗世間の人間と同じ様な体や心の状態に溺れている様な僧侶は、ものの考え方がぎこちなくて、俗世間の人々が見ても笑われてしまう様な事が多い。まして釈尊の説かれた宇宙の秩序に対しはまったく無知であって問題にするに足りない。

また僧侶の中には、たとえ釈尊の教えを身につけていても、女性であるならば礼拝する訳にはいかないと言う考え方もあるに違いない。しかしこの様な考え方というものは、仏道の真実が何であるかと言う事を知らないし、仏道を本当の意味で学んでいないから動物に近く、釈尊のような人格からははるかに遠い存在である。ただひたむきに釈尊の説かれた宇宙秩序の中に、身も心も投入しようということを、長年にわたって志している人に対しては、釈尊の説かれた宇宙秩序もまた、その人々を大いに感激するに足りる人というふうに認めて、それなりの恩恵を与えるものである。愚かであっても人間であれば、真心と言うものを感じるだけの心の働きを持っている。まして、真実を得られた方々としては、どうして真心というものを感じて、それに対応するという事がないであろう。

土、石、砂、小石という言う様な全く生命を持たないと考えられる様な自然の物にさえ、誠と言うものを感じるだけのものは具わっているのである。現在でも大宋国の寺院において、尼僧としてとどまっている人が、仮にも釈尊の説かれた宇宙の秩序を身につけたと言う評判が高まり、政府からその尼僧に寺院の住職にあてるとの詔が出た場合には、尼僧は即座にその寺院において法堂に上がり、正式の説法をする。その時には、その寺の住職以下、たくさんの僧侶がみなその法堂に上がって、立ったままでその尼僧の説法を聴くことが例であり、説法が終わった後で質問するのも男子の僧侶である。この様なやり方と言うものが、昔から行われている定まった規則である。

釈尊の説かれた宇宙秩序を体得した人は、その法を得た瞬間から、一個の真の古仏であるから、宇宙秩序を体得する以前の「何の誰々さん」として相対してはならない。また宇宙秩序を体得した相手が自分を見る場合でも、まったく新しい境地でお互いを見合うのである。さらに自分が相手を見る場合にも現在の瞬間において真心を込めて見あうのである。

※西嶋先生解説
茶道の言葉に「一期一会」と言う言葉がある。「一期一会」とは、幕末の大老井伊直弼がよく茶道の話の中で取り上げた言葉と言われている。これは、客を呼んでお茶の接待をする時に心掛ける事は、この機会は一生において一回しかないと言う気持でお茶を点てて客を遇すると言う意味。我々の日常生活は全てそう。今の瞬間は、アッという間に過ぎ去ったら永遠に帰ってこない。何千年何億年たとうとも、今、過ぎた瞬間は決して帰ってこない。そう言う瞬間瞬間の世界に我々は住んでいる。
だから、今が大事、今が大事、今が大事と言うのが、仏教の考え方であり茶道の考え方。茶道は仏教思想から生まれた一つの修行方法。だから茶道でも「一期一会」と言う事を言う。客を招いている瞬間、いまっきり客を招いている瞬間、人と会っている瞬間はないんだ、と言う事を「一期一会」と言う言葉で表す。


読んでいただきありがとうございます。


関連記事
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント
484:管理人のみ閲覧できます by on 2015/12/23 at 07:19:49

このコメントは管理人のみ閲覧できます

485:Re: 過去の記事は閲覧出来ないのでしょうか? by 幽村芳春 on 2015/12/23 at 14:13:46

鍵コメさん、コメントありがとうございます。

このブログが少しでもお役にたてて嬉しく思っています。
この「正法眼蔵提唱録」の紹介は全巻終了しましたので、一旦区切らせていただきました。
しかし西嶋先生の紹介したい話もまだたくさんありますし、私も「正法眼蔵」をもう一度初めからを勉強したいと思い、弁道話の巻からブログを再度始めました。
そんなわけで、今は7・礼拝得髄の巻ですが、31・光明の巻もこれから順番に更新しますのでお待ちくださいね。
これからもよろしくお願いします。

よいお年をお迎えください。
                       


プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

最近の記事

リンク

カテゴリ

最近のコメント

フリーエリア

恁麼(いんも)の巻に入りました。 恁麼とは、宋の時代の俗語で「あの」とか「あれ」という意味を表わす指示代名詞であり、用例によっては「なに」というような」疑問の意味を表わす場合もある。言葉で具体的に表現することの困難な何物かを指すところから、仏教が追い求めるところの心理を言い難き何物かという意味で、この恁麼という言葉で表現した。 コメントお待ちしています。

FC2カウンタ-