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正法眼蔵 礼拝得髄 4

道元禅師の主張は続きます。

釈尊が言われた。

「最高の真実と言うものを説法することのできる師匠に出会ったならば、氏素性を問題にしてはならない。容姿を問題にする必要もない。非行があっても嫌ってはならない。行動が適切かどうかをあげつらってはならない。ただただ仏道に関する正しい智慧を尊重するというだけの理由で、日々に貴重な食事、花を捧げて供養し、毎日三度礼拝し恭敬して、少しでも嫌気を起こすようなことがあってはならない。このようにするならば、真実と言うものは自然に得らるものである。自分は真実を知りたいという気持ちを起こして以来、この様に修行をして、現在では最高にして均衡のとれた正しい真実と言うものを得たのである」と。

この様な形で真実を得たのであるから、それがたとえ木であり、石であろうとも、それに対して法を説くということを願うであろうし、また田んぼであれ、人里であれ、それらに対してまた真実の説法を説きたいと願うであろう。また雨ざらしの柱に対しても、仏道とは何かということを尋ね、垣根や壁と言う具体的な事物に対しても、参究の眼を光らせねばならない。

未曾有経に説かれているように、かつて狼の類を師匠として、これを礼拝しその説法を聞いた帝釈天の例があり、真実を得ようとして努力した人々としての名前が伝わっているところから、どういう行動によって真実を得たかと言うことの種類分けと言うものは問題にされていない。

※西嶋先生解説
これは未曾有経に出てくる話で、ある野生の野干と称する動物が井戸におちた。ところが帝釈天がそれをみておって、その死の間際に「教えを伝えてほしい」ということを言ったところが、野干は「自分は今もう命を失いかけているのに、帝釈天は天上にいて呑気な形で説法を聞くというのはおかしいじゃないか」と言ったので、帝釈天が早速地上に降りてきて、この野干から説法を聞いたという話が伝わっている。



          ―西嶋先生の話―
                        --つづき

坐禅をしておるということは、我々が勉強しなければならない一番大事なものを勉強しているということになると思う。坐禅をしている時に何をやっているかと言えば、自分自身と言うものを体全体で味わっておる。自分自身は何かというのは、本を読んでも書いてない。人に聞いても教えてくれない。ただ自分の体の状態、心の状態を本来の形に入れて、その時にどういうことを感じるかということを実際に体験してみるということが、自分を勉強する一番の近道。

そして自分と言うものをそういう形でつかんだ後の人生と言うものは、自信に満ちて、落ち着いた、そして楽しい人生が送れる。自分と言うものをつかんでおれば、「よし、これでやろう」とか「よし、これはやるまい」とかと言う意欲的な判断が出来る。そういうものがないと、「人から褒められるからやりましょう」とか、「これをやれば、儲かりますからやりましょう」と言う形になる、もちろん儲けるという様なことも非常に大切な事だけれども、それと同時に、自分自身が本当にどういう事をやりたいかという事をはっきりつかんで、その自分の意思に従って生活するということが、人生を楽しく送るうえでの非常に大切な事。

昭和20年以降、そういう生き方と言うもんがわりあい見失われておるんです。世間がどう考えるかということが中心になって、みんなそれとなくついていく。だから新聞にちょっと面白い遊びが書いてあると、「それっ」と言うわけで、みんなやるわけ。何となく、世間が楽しんでいるから私もやりましょう、立ち遅れちゃいかんからやりましょう、というふうな事では、本当の意味のある人生と言うものが見失われてしまうという恐れがある。仏道はそういうことを避けるために、自分自身をつかむという事をまず第一に考えて、その自分自身をつかむ状態として坐禅と言うものを勉強する。そういうことが一つの仏教の中心的な考え方ということになろうかと思う。


読んでいただきありがとうございます。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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仏向上事の巻に入りました。 仏(真実を得た人)とは、真実を得た後もさらにその事を意識せず日々向上の努力を続けている生きた人間の事である。そしてこのように真実を得た後も日々向上に努力して行く人のことを仏向上人と言い、その様な努力の事態を仏向上ノ事と言う。道元禅師が諸先輩の言葉を引用しながら説かれます。

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